2011年12月20日火曜日

TPPは医療分野にどのような影響を与えるか                                 茂木幹雄(東京民医連)


11月の代表世話人会(1121日)における「話題提供」として、東京民医連役員 茂木幹雄氏が、「TPP参加は、医療分野にどのような影響を与えるのか」と題して報告を行いました。
営利企業の病院経営への参入、「混合診療」の全面解禁、医薬品輸入規制の撤廃などの問題点を指摘し、日本医師会も世界に誇る国民皆保険制度の崩壊につながると反対していることを力説しました。
討論では、「TPP参加は農業だけの問題ではない」、「TPPはアメリカの戦略であることを批判するだけでなく、日本の経済発展の対案を提起すべき」、などの意見が出されました。

2011年11月9日水曜日

大阪ハシズムの「教育基本条例案」がめざす子ども像は?       大阪維新の会  政治が教育に介入

大阪府の橋下知事が率いる大阪維新の会は、「国際競争に対応できる人材育成」を目指すとして、知事が教育目標を決め、教職員を成果主義で競わせる「教育基本条例案」、職員を懲戒や分限処分で従わせる「職員基本条例案」を府議会に提出しました。これは、学校行事で「日の丸」の掲揚、教職員の起立、「君が代」斉唱を義務付けた「君が代強制」条例(6月に強行採決)に続くもので、教育の条理を踏みにじり、強権政治を推し進める暴挙です。全国的な影響が考えられ、東京革新懇はすでに、条例案の撤回を求める声明を出しました。 
1127日(日)大阪府知事選挙・大阪市長選挙が実施されますが、この結果が、これらの条例案の成否に重大な影響を与えると考えられます。
10月の代表世話人会の「話題提供」として、この問題について、長尾ゆり全教副委員長(大阪教職員組合)が報告し、「撤回署名」への協力を訴えました。その概要は、次のとおりです。

 「教育基本条例案」「職員基本条例案」の5つの問題点
     政治の教育へのあからさまな介入
「教育行政からあまりに政治が遠ざけられ」「教育に民意が十分に反映されてこなかった」(前文)として、政治が教育に介入することを宣言している。これは、戦前の教育への反省から打ち立てられた教育の大原則を踏みにじるもの。
     子どもたちを競わせ、学校を序列化
「他人への依存や責任転嫁をせず、互いに競い合い自己の判断と責任で道を切り開く人材を育てる」、「世界標準で競争力の高い人材を育てる」ことなどを教育理念とし、小中学校における学力テストの結果をホームページなどで公開、また、府立高校の「通学区域は府内全域」とし、「3年連続で入学定員を入学者が下回る・・・と統廃合しなければならない」と学校間競争を激化。
     教職員を脅して、学校を命令と処分の場に
「知事は、・・・学校が実現すべき目標を設定」、校長はこの指針をもとに学校運営を行い、「教員は、・・・校長の運営指針にも服さなければならない」。そして、5段階で人事評価を行い、給与・任免に反映させ、「明確な差異」を生ずるように。「2回連続D評価(注)となった職員は分限免職の対象」など、処分のオンパレード。(注)最下位で5%相当。
     父母、保護者もモノが言えなくなる
「保護者は、教育委員会、学校、校長、副校長、教員及び職員に対し、社会通念上不当な態様で要求等をしてはならない」としていますが、誰が「不当な態様」と決めるのか、父母の願いを退けて教育はよくならない。
     民」の名で「ハシズム」をねらう
「我が国社会の停滞を打破し、『民』主体の社会を実現するために公務員制度改革を行うべく、この条例を制定」(職員基本条例前文)と、「選挙で選ばれたのだから、知事の考えは府民の民意である。統一地方選で多数を得たのだから、維新の会が民意である」という考えは、多数の名による独裁で、まったく民主主義を理解していない。
 そして、これらの内容は、関西財界が要望(「大阪府に教育改革を望む」20083月)してきたものであると喝破しました。

オール教育界が反対、そして幅広い大きな反対のうねり
 校長を含む多くの教職員が反対しているだけでなく、大阪府のすべての教育委員が「子どもたちが被害を受ける」と反対を表明しています。
さらに日弁連会長・大阪弁護士会会長が声明をだし、日本ペンクラブが批判の見解を表明しています。

 教育で子どもが一番
あらためて教育の基本原理が確認されたとして、「教育の営みを力で抑え込むことはできない」「教育においては、子どもが一番大事」「教育権は、父母・国民のもの」などを強調しました。

民主主義は問答有用
討論の中で三上満代表世話人は、独裁は問答無用だが、民主主義は問答有用で面倒なもの、競争主義は教育を歪める、と指摘しました。

2011年11月3日木曜日

安心できる住居なくして真の復興はない 

   中島明子(和洋女子大・日本住宅会議・東日本大震災女性支援ネットワーク)
  住宅を失った路上生活者の支援をテーマにする中で、生活を再建するためにはまず安定した居住の場の確保が重要であり、その上で一人一人が抱える問題に対応 した支援を行うべきだとして、ハウジング・ファーストを掲げて研究してきました。今回の震災でも被災者にとってまず安心して寝ることができる住まいを優先 的に確保すべきです。被災者は現在様々なところで暮らしていますが、住宅の再建は今後も最重要課題です。

■避難所から仮設住宅の段階に
 9月に入り各地の避難所が閉鎖され、仮設住宅への移転が始まりました。そして仮設住宅の入居期限が来る2年後をにらみ、復興公営住宅の建設へと焦点が当てられてきています。
 過酷な避難所生活から仮設住宅に移った被災者は、ひとまずプライバシーを確保できてホッとしたところだと思います。しかし、ここで新たな問題も生じています。
1 つは、孤独死の危険や家庭内暴力等の問題が、家の中に入って見えなくなっていることです。ですから、問題が隠れないような住宅の配置が重要ですし、見守り 等の生活支援が必要です。2つには、とても「住宅」と言えない低質の仮設住宅がかなり供給されていることです。飯場か物置小屋といったプレハブ仮設は人気 もなく空家になるのは当然です。庇の無い窓、洗濯干し場が無い、隣近所の騒音に耐え、狭さ故に家族間でストレスを抱えているのです。支援団体による住宅改 修支援や園芸の支援に出会うと嬉しくなります。

■女性視点からの住まいと環境の整備を
今 度の震災地域は高齢化率が高く、高齢者への関心は高くなっていると思います。しかし高齢者に比べ、女性の要求は隠れていたり、リーダーに無視されている場 合が少なくありません。生理や妊娠等女性特有の健康問題や乳幼児を抱えていたり、介護の負担を負いながらこれからの生活再建を行って行くのは大変です。ま してや夫を失い生計の見通しがたたなかったり、元々低賃金の仕事に就いている女性たちの経済力は弱いのです。こうした女性たちを励まし、将来の生活再建に 向けての支援を行う「たまり場」づくりは、子どもや高齢者、障がい者等のマイノリティの人々にとっても有効です。女性を配慮した避難所や仮設住宅設置のガ イドライン等を見直しておく必要もあります。

■日常的な住まい・まちづくりが防災力と支援を可能にする
  これまで震災の状況や支援を見ていますと、日頃から生活を豊かにしたり、地域をよくする取組みが、被災しても立ち直る力をもっていることを痛感します。震 災直後から支援活動ができたところは、以前から様々な活動やまちづくりの取り組みが行われていました。木造仮設住宅を提供した岩手県の住田町は、震災前か ら計画をもっていたのです。
3.11の震災を経て、改めて社会保障としての居住政策と、災害に強い住宅の普及と、被災した場合の住宅再建の方法を、私たちも真剣に考えておくことの重要性を感じます。

2011年10月6日木曜日

「混ぜる」ことに可能性 松本哉さんが講演

東京革新懇は9月10日、世話人会・代表者会議を開催しました。その記念講演として、インターネットで原発ゼロのデモを成功させたことで有名な松本哉氏が『どう共同を広げるか、私の経験』と題して講演しました。

 高円寺で、シャッター通の店舗を安く借りて、古物商「素人の乱」を6~7年前からやっている。
 原発の爆発が起こり、「この世の終わりか」ただ事ではないと思ったのに、事故が沈静化しないうちから、政府・マスコミがうやむやにしようとしていることにヤバイと感じた。そこで仲間10人と居酒屋で話し合い、ネット上で410日のデモを呼びかけた。反響が大きく、2~3千人の予想を上回る15千人が高円寺に集まった。「事前登録は必要?」「火炎瓶は?」などの問い合わせもあり、9割はデモ初参加と思われる。その後も、渋谷、新宿、東電前とデモを続けている。
 若者たちのデモの印象は「ハチマキ、ゼッケン、シュプレヒコール」、まじめで大きな団体の言うことを聞くのではと感じている。若者の政治意識が低いのではなく、表現の場がないだけ。気安く参加できて、文句(要求)が言えるように、デモのやり方は、音楽、パフォーマンスなどいろんな形式を工夫している。毎回、何があるのか、何が起きるのか、参加者が楽しくワクワクするように考えている。こんなものでしょうという「予定調和」ではなく、いつもと違う、こんなことができたと思える行動を心がけている。
 このようなことができるのは、普段から、野外イベントなどの経験があるからで、インターネットで宣伝しただけで、大勢が集まったわけではない。日常的・直接的なコミュニティが大事で、商売や街づくりでのつながりの人脈が役立っている。いろんなジャンルの人が「混ぜる」ことで新たな可能性が生まれる。原発問題でも、敵は強大で、財・政・官・学など予定調和の塊である。この構造を破壊するには正しい(言動)だけではなく、強力なネットワークが必要である。力のある人、意識の高い人だけではない「ゴジャマゼ感」が大切で、よくわからなくても集まる、集まるうちにわかる。腐りきった世の中を変えるために、敵が「もう参りました」というまで頑張りたい。(文責、編集部)

2011年9月6日火曜日

連合はエネルギー政策の転換で イニシアチブの発揮を


五十嵐 仁(法政大学大原社会問題研究所) 

反省を迫られる連合
3月11日に勃発した福島第1原子力発電所の過酷事故は、労働組合や労働運動にとっても、そのあり方が問われる大きな問題を提起するものでした。とりわけ、連合にとって、この事故は深刻な反省を迫られるものでした。
というのは、連合は会社と一体となって原発推進の立場に立つ東電労組や電力総連を傘下に置き、しかも、連合自身、原発の推進に向けてエネルギー政策の舵を切ったばかりだったからです。

会社と一体で原発推進
たとえば、電力総連は2010年の第30回大会で「プルサーマルの推進、核燃料サイクルの確立を含め、原子力発電の推進は、エネルギー安定供給、地球環境問題への対応の観点において、極めて重要な課題です。私たちは、労働組合の立場から労働界をはじめ国民各層への理解活動を強化していかなければなりません」という方針を打ち出していました。電力会社と一体どこが違うのか、と言いたいような方針です。

原発の新増設を「着実」に
このような傘下単産による「理解活動」もあって、連合は原発推進へと舵を切ることになります。2010年8月に連合は中央執行委員会で「エネルギー政策に対する連合の考え方」を採択し、「現在計画中の原子力発電所の新増設については、地域住民の理解・合意と幅広い国民の理解を前提に、これを着実に進める」との方向を打ち出しましました。

原発震災で「路線」を変更
そしてその半年後、未曾有の「原発震災」が福島を襲い、このような路線を維持することは不可能になります。連合は4月20日の中央執行委員会で従来の政策を「凍結する」としましたが、それでは不十分でしょう。原発に依存する社会のあり方やエネルギー政策を転換するために、労働組合はイニシアチブを発揮しなければなりません。

原発の廃止、省エネルギー社会を
福島第一原発で放射能漏れの防止と沈静化のために働いている人々の健康と安全を守り、被曝の危険にさらされるような労働を不必要とするために、できるだけ早く全ての原発を廃止するべきです。
震災や節電を口実とした非正規労働者の解雇や人員削減を許さず、省エネルギー社会にむけてワークシェアリングによる労働時間の短縮を図り、雇用を増大させなければなりません。長時間労働を是正し、過労死や過労自殺のないディーセント・ワークに支えられた新しい社会を目指すチャンスとするべきです。

ディーセントワークの実現を
このようにして、人間らしい労働と生活を実現することこそ、労働組合が果たすべき本来の役割です。連合は原発推進に一度は転じてしまった誤りを深く反省し、エネルギー政策の転換に向けての指導性を発揮するとともに、ディーセントワークの実現に向けての本格的な取り組みを始めてもらいたいものです。

「貧困と格差」のない社会をめざして③

人生を豊かにする演劇と「格差」
~ 創る者も観る者も、人間らしく生きる「水」を求めている ~
葛西和雄(青年劇場俳優、渋谷革新懇)
俳優は貧しいと覚悟していましたが
私が俳優を志したとき、収入や貧困とかまるで考えていませんでした。というより、仕事に就いて暮らしていけない状況がある―とは、考えもしませんでした。貧しいだろうなあ…とは覚悟していましたが。実際、演劇人は経財的に豊かではありません。先輩から美濃部都政時代に都営住宅に入居できたのでやってこられたという話を聞きました。お金持ちでなくてよいから、子どもの養育や住居、健康、老後の心配なくじっくりと演劇づくりに取り組める環境があれば、多少貧しくても頑張れる、とみんな思っています。

貧困で演劇鑑賞をあきらめる人も
劇団に入り、自立した演劇づくりには多額のお金がかかること、観客に支えられること、なにより多くの人に責任を持って演劇を届けること、演劇の職業化をめざす必要を教えられました。みんなで、一人でも多く観客になってもらえるようにと、人とのつながりを求めてきました。
しかし今、「貧しさ」の代表格の演劇人が威張れないほどワーキングプア―が激増し、貧困といわずとも、支出節減でやむなく演劇鑑賞を減らしたりあきらめる人も増えています。

芸術鑑賞回数は、国民の豊かさ指数
もちろん「生きがい」として観続けてくださる方々に、大いに励まされています。
生の舞台芸術鑑賞体験回数はその国の国民生活の豊かさを図る指標の一つと考えます。日本では、圧倒的多数の国民がその体験をできずにいるのでは。たとえば公務員の皆さん。「公務員バッシング」や人員・財政削減が進み、時間・経済・意欲的に余裕を失っていませんか。私たちは学校での鑑賞教室にも取り組んでいます。生徒たちに生の演劇鑑賞体験をさせたいと考える先生は大勢いますが、ではその先生はどれだけ演劇に触れているでしょう。教師を目指す青年はどうでしょう。

国は文化予算を増やせ
今必要なのは、そうした体験を可能にしてこその豊かさであり、それは国や自治体、企業が、税金の使い方を変え人間らしい生活を保障することに責任を果たすことで実現できると思います。昨年芸団協(正式名称「芸能実演家団体協議会」、会長は野村萬。)は全国規模で「文化予算を国家予算の0・11%から、0・5%に」増やすことを求め請願署名を集めました。これは芸能実演家たちの悲鳴であり叫びであることを、国や政治家は理解すべきです。今、創る者も鑑賞する方も社会も、深いところで人間らしく生きる「水」を求めています。

新作「普天間」を、青年たちに観てもらいたい
 今私は、青年劇場の新作「普天間」の稽古中です。沖縄が背負わされている苦悩を舞台から伝え、多くの人と考えたい。特に悪政に痛めつけられている青年たちにぜひ観てもらいたい。先輩の皆さんから声をかけ後押しいただきたいです。福島の原発事故や震災復興など将来不安だらけの中ですが、たとえひと時でも劇場で肩寄せ合いひと時を共有することが、次への活力を生むと確信します。
      http://www.seinengekijo.co.jp/frame.html

2011年8月12日金曜日

比例定数削減をめぐる“せめぎ合い”とたたかいの展望   

 620日の東京革新懇代表世話人会では、「話題提供」として、重大な課題である「比例定数削減問題」を取り上げ、坂本修弁護士にお話していただきました。講演内容を補強・整理したものを掲載いたします。

比例定数削減をめぐる“せめぎ合い”とたたかいの展望  
                    弁護士 坂本 修
 大震災を口実にして、迫りくる策動
 3.11大震災、原発大事故に直面し、支配勢力は、その“影”にかくれて、反動政策を一気に進めようとしています。その一つが衆議院の比例定数削減で、「国難」を口実とした「大連立」策動も急浮上しており、民主、自民が談合して実現を図る危険が現実化しつつあります。財界が支援し、マスコミも応援しており、油断できません。

 検討されている「比例全廃、3人区」案―動き出した自民党
 民主党は「比例定数80削減」を方針として掲げてきました。自民党も動き出し、定数削減に賛成しているものの比例削減に反対している公明党と「みんなの党」をとり込むため、比例全廃、原則定員3名の中選挙区制案(総定員数は「3割削減」)が検討されています。
自民党の森喜朗元首相は、①震災復興・原発事故対策、②税と社会保障の一体改革、③選挙制度、④憲法の懸案事項で、各党が話し合う「4つのテーブル」を設けるべきと指摘、「一つ目と二つ目は言わずもがな。3つ目の選挙制度も最高裁大法廷が『違憲状態』だと判断したんだから待ったなしですよ。僕は3人区を基調とした中選挙区制に戻すべきだと思っているけどね。だって小選挙区制が何をもたらしましたか。国会議員の質の劣化だけだ。」(「産経」69日)と語っています。この案は、民主党案以上に、少数意見を排除し小政党を抹殺するものです。

選挙制度を改悪する動機
 民主、自民、そして財界と執拗に選挙制度改悪を策動する深部には、支配者の“三重の動機”があります。
1の動機-小選挙区制導入、二大政党制で支配層は一定の「利益」を手にしましたが、安倍首相のもとでの9条明文改憲の挫折など思惑通りに進まず、また「二大政党離れ」による政局不安定に危機感を抱いて、その反動的「解決」を図るということです。
2の動機-国民に背を向けて、さらなる構造改革の推進、日米軍事同盟「進化」強行、そして9条改悪に至る強権“壊憲”国家への「国家改造」の実現です。
3の動機-悪政反対、ぶれない対抗軸をもつ政党の国会からの排除です。なぜなら、議席が少なくとも、国民の要求運動と響きあうと「危険な存在」となるからです。
 「政権交代」、参院選でのきびしい審判、そして3.11以後、さらに深まらざるをえない矛盾に支配者の危機感はかつてなく強く、まだ国民の政治選択が定まらないうちに、民意切捨ての強権政治のための決定的な仕組みをつくりたいという強い執念を、彼らはもっているのです。

世論に反する、原発推進・改憲の2大政党
しかしながら、比例定数を削減する選挙制度改悪の策動には、大きな弱点があります。小選挙区制導入以来の17年間の悪政の数かずの現実に照らせば、民意を歪め、切り捨てる現行制度の害悪は、広く明らかになっています。かつての大義名分(構造改革、政権交代、「カネと政治」の解決)はもう使えません。また、巨大な人災に直面して「2大政党制」の実害が劇的な形で国民に知れ渡ってきています。「(原発推進、消費税アップ、改憲の)2大政党にまかせろ」「(国民の要求を掲げる)少数政党は無用」という主張は、国民多数に通用しなくなっています。

取り組みの強化を
「ムダを省く」「議員も身を削る」という宣伝は軽視しませんが、事実と道理で打ち破ることができます。小選挙区制度の現実と、未曾有の大災害は、憲法の生きる日本にする以外に道がないことをかつてなくはっきりさせています。「時代閉塞」を破り、平和に、安全に、人間らしく生きられる、まともな政治に変える、そのために、民意を切り捨てる選挙制度改悪を許さず、私たちの一票が生きる選挙制度を求めて、「あせらず、急いで、腰を据えて」取り組みを進めようではありませんか。

2011年8月4日木曜日

今こそ私たちは研究者・教育者として「志し」を語ろう

       古賀 義弘(嘉悦大学前学長 練馬革新懇共同代表) 
 この3.11大震災と東電福島原発事故は、あまりにも大きく悲しい犠牲を生み、今なおさまざまな不安と怒りが渦巻いています。そして福島原発事故は人の存亡さえも左右する事態をも招いていて、その解決の見通しも立っていません。このような事態を、私たち研究や教育に携わる者として見過ごしてしまう訳にはいきません。
大震災や原発事故に対して、全国の研究者から積極的な発言や行動が相次いでいます。深い学問レベルから指摘する意見、国民に広く啓蒙するための提起や解説が行われており、そのことが国民の研究者への信頼と期待になっています。まさに研究者の社会的使命がここに体現されており、頼もしくまた心強い限りです。

翻って私自身が「なぜ研究者への道を選んだか」と自問自答すると、知らないことを知りたい、問題の問題たる所以を明らかにしたい、そしてそれを追求し、研究することで世の人々や社会に、ほんのわずかかも知れないが役立てたいとの思いからでありました。その過程で学生に対して、自分の専門分野から「社会や人間を洞察し、どのように生きて行くのか」との問題を提起する仕事に情熱を傾けてきました。その意味では、少なくとも「志し」を持って取り組んできたとは思っています。
人によって比重のかけ方や濃淡はありましょうが、少なくとも研究や教育に携わる人は一定の「志し」を持ってその職につき、それは現在も脈々と流れているものと思っています。私は今回の大震災と福島原発に直面し、研究者・教育者として発言しなければならないことは発言しよう、それが社会的責任であると改めて思いました。
7.2原発ゼロをめざす緊急行動」が明治公園で開かれました。福島の皆さんや松山の学生さん等を含む2万人が参加するという、近年にない大きな集会でした。その呼びかけには数人の研究者や弁護士の先生方も入っておられ、専門分野に閉じこもることなく社会的な役割を果たされていることに強い刺激と尊敬の念を持ちました。
炎天下の会場で、研究者仲間の姿を探しました。顔を存じ上げている方も見かけました。しかし人が多かったせいか、親しい研究者仲間にはついに出会うことが出来ず、知人のいる隊列に入れてもらいパレードに参加しました。
人それぞれに都合があります。思いも違います。それは当然のことです。その思いや違いに立って、研究者・教育者として私たちは、今何を考えなければならないか、何をなすべきかについて考えることがとても大切な時期であると思います。
今問われていることの一つは、研究者が社会に向かって発言する事ではないでしょうか。「御用学者」という言葉も聞かれます、研究費配分や昇格・昇進に研究以外の力学が働いているということも聞こえてきます。これは研究や教育の場にある者としてとても悲しいことです。敢然と決別しなければなりません。
私たちは今こそ、「何故研究や教育を志したか」の原点を再認識し、その「志し」を自らの学問領域や教育の場で、そして社会に向かって広く語ることが大切であると思います。少しでもより良い社会を実現するために力を発揮する事、これが私たちの社会的責任の一つであると改めて考えています。

2011年8月1日月曜日

貧困と格差のない社会をめざして②

「住居における格差―住まいの貧困」
          坂庭 国晴(国民の住まいを守る全国連絡会・住まい連・代表幹事)

 多少固いタイトルになっていますが、「貧困と格差」が具体的な形で現れる重要な部面として「住宅」があります。突然ですが「アメリカン・ドリーム」をご存知と思いますが、その大目標に「大きな家に住むこと」があります。ご当地アメリカでは数年前の「サブプライムローン」の破綻による住宅危機で、「ドリーム」はあまり聞かれなくなりましたが、日本では今でも実現されています。それが「思いやり予算」によるアメリカ軍人用の住宅です。普通の家族住宅で4寝室、広い居間と浴室・シャワールーム付き、約50坪(160㎡)、1戸当り建築費約4,800万円というものです。公営住宅は平均約50㎡(15坪)ですから、3倍もの広さと設備水準があり、建築費も3倍以上です。
 その公営住宅には、年間90万世帯の応募があり、そのうち入居できるのは約10万世帯で、多くの人たちが「健康で文化的な最低限度の生活」の基盤ともいえる公営住宅にも入れない現実があります。余談ですが、東京に「アメリカンドリーム」という不動産会社があり、物件紹介に「御殿山ガ―ディンシティ、2LDK、家賃23万円」とありました。もともとわが国では、お金持ちは良い住宅に住めるが、貧しい人は劣悪な住宅に住まざるを得ない、という所得格差付き、階層格差付きの住宅政策がとられてきました。所得の多寡によって住む家が決められてしまうという、「住居における格差」が戦後政治の中で継続してつくられてきました。
それが近年の「貧困社会」が生まれる中で、格差による深刻の度が深まり、「住まいの貧困」(ハウジングプア)という重大な問題が起こっているのです。わが国の貧困率が「最悪の16%」(09年)になったことが7月12日の厚労省の発表で明らかになりました。前回調査(06年)の「15.7%」(09年10月発表)を上回ったのです。筆者はこの時「15.7%の要因に都市・住宅政策あり」という一文を書きました(「建築ジャーナル」誌・09年12月号)。そこでは、「公営住宅は『建てない、入れない、追い出す』の3大改悪が行われ、・・・」など、「構造改革路線のもとで全面的な(住宅の)市場化が追求され、公的責任の放棄が行われてきた」ことに言及しました。貧困率16%には、全世帯の32%が年収300万円未満という低所得層の拡大が含まれています。
民主党政権のもとで、構造改革路線の復活が行われ、格差付き住宅政策が続けられています。とりわけ東日本大震災でのホームレスの増大をはじめ住まいの貧困状況が拡大する中で、重大な危惧が今の政治に向けられています。ハウジングプアを無くすために「住まいの貧困に取り組むネットワーク」を2年前、NPOもやいの稲葉剛代表理事と共に設立しました。「住まいは人権」(人間にふさわしい住居に住むことは基本的人権)の実現、住宅政策の転換をめざし多くの仲間とともにたたかいに立ちあがっています。

2011年6月9日木曜日

「貧困と格差」のない社会をめざして ①

 連載「東京における日米アンポを斬る」(2010年3月号~2011年5月号)に続いて、「構造改革」路線が招いた「貧困と格差」問題をテーマに取り上げます。多角的な視点から、「貧困と格差」の実態に迫り、「国民が主人公」の社会をめざします。

人生エンディングにおける格差                           東京宗教者平和の会 事務局次長 森 修覚(僧侶)
変化する死生観
葬儀は必要か
 人間は「死んだ」という認識ができるのです。これは動物にはない認識だと思います。そこから埋葬が生まれてきたのではないかと考えます。家族が寄り添って死を迎えることは少なく、病院ほとんどだと思います。(突然の死は別として)現代の死生観の変化を感じます。
葬儀は人の死にどのように向き合うのかが問われます。葬儀が必要か、不要かという問題が最近では、『葬式は要らない』(島田裕巳著)『葬式にお坊さんは要らない』(田代尚嗣著)や『現代葬儀考』『宗教のないお葬式』(柿田睦夫著)や「お葬式学習会」「葬儀は自分らしく」などの学習会など葬儀に関する話題は「格差」なく関心がもたれています。
「直葬儀」が3割にも その中でも関心は葬儀費用です。全日本葬祭業協同組合連合会の資料によれば「葬祭費用総額の平均」は237万円(03年)。しかし、最近は簡素化志向が増えています。その特徴が「直葬」(じきそう又はちょくそう)が増えていることです。葬儀は無しで直接火葬炉にお棺を持っていくこと、つまり荼毘にすることです。都会では3割だといわれています。また、家族だけで行う「家族葬」とも称しています。以前までは「密葬」という名前でした。
このような傾向は小泉「構造改革」以来続きます。格差の現状は人間の死をめぐっても厳しいものがあります。葬儀産業も盛んで大手イオンの参入で話題になりました。町の葬儀社には相談が少なく、チェーン店の葬儀社に相談が多く寄せられているのが現状です。
増えている「釜前葬儀」 直葬でも仏教で葬送したいということで、僧侶が読経することが多くなりました。これを「釜前葬儀」と私が称しています。葬儀無しでの不安がここに表れているのではないかと思います。しかし、そこでも「法名、戒名」が問題になり、俗名が半分ぐらいです。これも葬儀への迷い、不信の現われかと思います。
昨年ご主人をなくした奥さんから自分は無宗教だから主人の葬儀は行わなかった。しかし、その後、自分が交通事故にあった。きちんと葬儀しなかったと思い、僧侶の読経をお願いしたいとの話もありました。ここにも迷いがあります。
大切な別れの時間 人の死とどのように向き合うのかいま問われています。「自分らしい葬儀」「お金のかからない葬儀」などの学習や相談が関心を寄せています。葬儀の仕組みや法律など知ることも必要ではないでしょうか。
格差が人の死をめぐって表れていることは残念です。個々のケースの違いはあります。しかし、葬儀は別れ。悲しみを乗りこえるためにも別れの時間を持ってほしいものです。それが葬送の行為だと思います。

2011年6月8日水曜日

日本の原子力研究開発は米国の誘導で

                      市川 富士夫(元日本原子力研究所研究員)
                                                                    地下鉄革新懇にての講演
○米国の意向と「平和利用3原則」との矛盾をかかえて
 米国のアイゼンハウアー大統領が原爆一本から原子力発電との二本立てに原子力政策を変更、自国で原発を実用化するとともに、日本へ巧妙に原子炉を売り込んだのである。その際、中曽根康弘氏が重要な役割を果たした。その一方で日本学術会議は原子力平和利用三原則(自主的研究開発、民主的運営、情報の公開)を決定し、その趣旨は原子力基本法に引き継がれた。日本の原子力研究開発は、米国の意向とそれに便乗する勢力と、平和利用三原則とその背景にある国民世論との矛盾をかかえてスタートしたのである。
○「安全神話」の根源は、米国の売り込み宣伝
米国の宣伝は「軽水炉の安全性は実証済み」で、日本政府も電力会社もこれを鵜呑みにしたが、実際は建設中のものしか実用炉はなかったのである。米国でも日本でも軽水炉のトラブル続出し、その苦肉の策として軽水炉に種々の安全装置を付加して多重防護と称する日本流「安全神話」を振り撒いたのである。「安全神話」とは、「炉心溶融に至るような原子炉の過酷事故は起こり得ない」という思い込みで、その説明として「原子炉の燃料は、被覆管、圧力容器、格納容器、建屋という四重に囲まれている」と言われてきたが、これが今回の大事故で破綻したのである。
○冷却電源の喪失で、最悪のメルトダウン
原子力発電は、炉心冷却のため外から電気を必要とする宿命を持っている。今回の福島原発事故では、地震で受電鉄塔が倒れて停電し、予備のディーゼル発電も津波で使用不能となり、完全な電源喪失状態となった。その結果、原子炉の核反応は停止したが核燃料の崩壊熱を冷却する機能を失ったために、核燃料が破損、溶融(メルトダウン)して圧力容器底部に落下し、水素爆発が起きるなど最悪の事故が発生したのである。東電は収束工程表を発表し、その期間を6~9カ月としているが、その通りに進むことには困難が予想される。再臨界となる可能性は否定できない。
○深刻な放射能の汚染
 東電の作業員の被爆管理は杜撰で、環境汚染対策はその場しのぎで異常時の対応能力がない。低レベルと称する廃液を直接海に放出し漁業者に多大の迷惑をかけるに至っては無知と傲慢としかいう言葉がない。土壌汚染も深刻である。汚染大気は一時東京にも到達した。遺伝的影響を考慮する場合は、個人の被爆線量と人口の積で示す集団線量を求める必要である。X線による診断や治療で受ける被曝量に比べて環境汚染がたいしたことがないと説明されることがあるが、被曝はそれによる危険と利益のバランスにより許容されるのが原則であり、原発事故による住民の被爆には何の利益もないので、このような比較は元来ナンセンスである。原子力安全保安院は、今回の事故による放射性物質の放出量を、37京ベックレルと発表した、まさに天文学的数字である。
○関係機関の対応をどう見るか
 (1)東京電力は業界、財界における指導的地位におごるところがあり、事故の当事者として情報を迅速正確に発表したとは言い難い。
 (2)原子力安全保安院は推進の立場の役所であり、東電に対する監督官庁であるにも拘わらず、むしろ東電擁護の態度であり、独自の情報収集も不十分である。
 (3)原子力安全委員会は本来なら先頭に立って事態の処理に努めるべきであるが、腰が重く現地に委員を派遣するのも遅かった。東海村のJCOの臨界事故の時は、初期から安全委員の住田健二氏(全国革新懇ニュース5月号の一面に登場)を派遣し対処したが、支えたのは原研の研究者たちであった。
 (4)政府は、非常時における危機管理能力が問われているが、足の引っ張り合いをしたり権力争いをしたりする姿を国民は冷静にみている。

2011年5月2日月曜日

国の進路が問われる TPPと日米安保 

                                            田代 洋一(大妻女子大学社会情報学部教授)

 日米トップは、東日本大震災で多少遅れるとしても、TPPへの日本の参加決定を粛々と進める姿勢である。オバマは、大統領再選を目指して5年で輸出倍増によるアメリカ人の雇用確保を狙い、日本その有力なターゲットだ。片や日本も新成長戦略でTPPを通じてアメリカに工業製品を売り込み、「通商国家化」したい。つまりTPPは、このような日米の相互浸透を強めるための競争ルールの変更である。

 ではどのように変更するのか。菅首相はTPP参加協議に向けて二つのことを強調した。一つは「開国と農業再生の両立」、もう一つは「開国」に先立っての国内の規制改革、非関税障壁の撤廃。前者はアメリカ等からの農産物輸入の増大への対応であり、後者はアメリカ資本等に対する日本の規制撤廃で、その主たる場としては金融、サービス、電子取引、政府調達(建設)、医療等の広範な場が考えられる。前者で日本農業は壊滅敵的打撃を受けるが、後者の市場開放・規制緩和が日本の経済と国民生活に及ぼす影響も計り知れない。

 つまりTPPとは実質的に日米FTAであり、そこでの日本の一方的譲歩である。ここで思い起こされるのが日米農産物交渉の歴史である。アメリカが事あるごとに持ち出したのが、日米安保条約第二条の「経済協力」であり、そのための第四条の「随時協議」である。協力・協議とは要するに「防衛での貸しは経済で返される」、すなわち「アメリカは日本を防衛してやっているのだから、そのツケは経済的譲歩で払え」ということである。この「アンポと牛肉・オレンジ」の関係を21世紀に引き継ぐのがTPPだといえる。

 鳩山内閣から菅内閣への移行は、ちょうど「東アジア共同体の時代」から「アジア太平洋における米中対立の時代」への転換期に当たった。アメリカは太平洋国家化をめざし、南シナ海等での経済権益の確保をめざし、中国封じ込め作戦に出た。それに対して中国もまた南シナ海を「核心的利益」として領土主権の主張、アジア諸国との領土対立を強めた。

 それが表面化したのが2010年だ。そのなかで沖縄米軍基地の県外、海外への移転を打ち出した鳩山内閣は、アメリカの逆鱗に触れて倒れ、その「鳩山の失敗」に震えあがった菅首相は早々に日米同盟強化一本槍に舵を切った。そして、その証として持ち出したのがTPP参加である。改造内閣は対中国強硬論者で固められたが、その一人である前原外相(当時)は、TPPは安全保障の面からも重要だと発言している。

 かくしてTPPは日米同盟に直結する。そこで国民が真に問われているのは、安保廃棄か、安保の相対化か、安保強化かの岐路である。少なくとも、米中対立のなかでその一方に決定的に荷担することが、ほんとうに日本の平和、アジアの平和、世界の平和につながるのか。日本はその位置からして米中対立を解くカギを握る立場にある。東日本大震災には米中はじめ多くの国々が救援の手をさしのべた。環太平洋地域において、弱肉強食の関税なき自由競争をくり返すのか、共通する課題に対する協同の絆を強め、その結び目に日本がなろうとするのか、国の進路が問われている。

話題提供 ACジャパン(公共広告機構)のねらい

   仲筑間卓蔵さん 元日テレプロデユーサー

大震災直後からマスコミは、「思いやりは・・」「心づかいを」などAC広告を洪水のように流しています。4月の代表世話人会では、「話題提供」でこのテーマを取り上げ、仲築間卓蔵さんに、お話いただきました。
ACジャパン(公共広告機構)は、企業が金を出し合い「世の中のためになるメッセージを、広告という形で発信しよう」と発足、理事には電力会社、マスコミなどが入っている。
内容はもっともであっても、企業版「修身」教科書を想起するナショナリズムの押し付けで、大震災・原発問題の「責任の所在」をうやむやにする役割を担っているのではないか。このような「目くらまし」は、今に始まったことではないと指摘、メディアはスポンサーである大企業に弱く、警戒と監視が必要である、と述べました。

2011年4月5日火曜日

安保条約廃棄の展望

‐革新懇の役割は重大‐
畑田重夫

本連載もついに最終回を迎えました。ここで、安保を廃棄して、日本国憲法の原理が輝く日本への展望を総括的にまとめておきたいと思います。

安保の明文改悪を許さず
日本国憲法は、形骸化され、空洞化されている部分があるとはいえ、日本国民はまだ明文改憲を許していません。それと同じように、安保条約を基礎とする安保体制も、実質的には数々の日米間密約、新・旧の「ガイドライン」「日米安保共同宣言」や国内法である周辺事態法をはじめとする諸法によって再編・強化されてはいますが、全10カ条の条文そのものは不変のまま存続しています。
明文改憲を許していないのは「9条の会」のひろがりにみるような護憲の力が作用しているからです。安保の条文改定を許していないのは、かの有名な60年安保闘争に恐れをいだいた日米双方の支配層にとって、安保の明文改定を言い出すことが一種のトラウマになっているからにほかなりません。

安保の廃棄通告が可能
ところで、安保条約の第10条の2項には、10年間という固定期限ののちは、日米何れか一方による廃棄通告によって1年後には「終了」(廃棄)することになっています。つまり、1970年以降は、日米どちらかの政府が相手に安保廃棄の意思を通告しさえすれば安保の廃棄が可能なのです。

民主党政権も安保の強化
ところが、日本の歴代自民党政府はもとより、いまの民主党政権も、安保改定50年を期して「日米同盟」の「一層の深化」をはかろうとしているのですから話になりません。具体的には、普天間の代替基地を辺野古に作るということでの「日米合意」をしたり、アメリカの対日要求そのものともいうべきTPPへの参加をめざそうとするなど、対米従属をますます深めようとしていることなどにそれをみることができます。

廃棄通告できる政府を
われわれは、安保条約を廃棄してアメリカと喧嘩(ケンカ)をしたり戦争をすることを想定しているのではなくて、アメリカとも対等・平等の立場で日米友好条約を締結することが理想だと考えています。そのためにも、日本国民が、選挙を通じてアメリカにたいし安保の廃棄を通告するような、真に国民の立場にたつ政権を実現しなければなりません。それこそが国政革新をめざす革新懇運動の本来的な課題です。
廃棄の世論を多数派に
ところで、国民世論の実態をみるとき、率直に言って「安保の廃棄を望む」という世論がまだ多数派にはなりえていないというのが現状です。それには、「中国脅威論」や、「北朝鮮脅威論」も影響していると思われますし、「抑止論」の立場から米軍にいてもらわないと不安だという考え方が国民のなかに根づよくあるということです。
われわれには、学習や宣伝によって安保廃棄の世論を多数派にするためのいっそうの努力が求められているといわなければなりません。戦後60数年経ってもなお一国の首都に外国の巨大な基地があるというのは、日本の東京をおいて世界のどこにも例がありません。この一点から言っても、東京革新懇がになっている課題と役割はたとえようもなく重大であるといわなければなりません。核兵器も基地もない平和な日本を、というのはすべての日本国民の悲願なのです。

「貧困都政」からの脱却を

                      ルポライター 永尾俊彦
 地方自治法は、第一条で自治体に「住民の福祉の増進を図ること」を求めています。命や暮らしを守ることこそ、自治体の最大の責務だということでしょう。この責務を果たしていない点で、石原都政は論外です。

命の軽視
 石原慎太郎氏が都知事になった1999年に東京23区内で餓死で亡くなった人は26人でした。が、2008年には43人に増えています。評判のラーメン屋の前に長蛇の列ができるグルメブームの東京で、餓死者の数がジワジワ増え続けているのです。石原都政が命を守ることを最優先してこなかったことの証左です。
 また、2009年には群馬県渋川市の高齢者施設「たまゆら」の火災で10人が亡くなり、そのうち6人は墨田区から生活保護を受けている人でした。なぜ、都民が遠く離れた群馬県で焼死しなければならなかったのか。
この背景には、都内で特別養護老人ホームに入れずに待機している高齢者が4万人を超えているという現実があります。もちろん国の責任もありますが、都の予算は約12兆円で、韓国の国家予算並みです。命を守る施策を最優先すれば、限りなく豊かな福祉都市を実現できるはすです。しかし、都の歳出総額に占める老人福祉費の割合は、99年は3.8%で全国47の都道府県で2番目でしたが、07年度には2.8%で全国最下位に転落しています。
そして、石原知事は都民の税金をオリンピック招致や新銀行東京、三宅島バイクレースなどの自分の思いつきによる人気取り政策や三環状道路建設など環境を破壊する公共事業に湯水のように注いできました。
命の軽視という点で、石原都政は、これまでの美濃部、鈴木、青島知事らと決定的に違います。
 ベンゼンやシアンなどの猛毒で汚染されている豊洲地区(江東区)の東京ガス工場跡地へ、築地市場(中央区)を強引に移転させようとしていることも命の軽視の表れです。
今回の大地震で、豊洲では地中の砂が噴出する液状化現象が起きました。都の液状化対策は地層の深い部分はやらず、危険だと日本環境学会の学者が指摘しているのに都は黙殺です。良心的な科学者が原発の危険性に警鐘を鳴らしてきたのに「安全だ」と強弁し、今回の爆発事故を招いた国や東京電力の姿勢と同じです。
 
看過できない差別発言
 このような命の軽視の他に多くの人を傷つけ、やり切れない気持ちにさせているのが石原知事の差別発言や放言です。障害者施設を視察した際、「ああいう人ってのは人格あるのかね」などと言い、今回の震災でも被災者に「天罰だ」などと言い放ちました。このような差別発言や放言は数えきれません。こんな首長が他にいるでしょうか。差別発言は犯罪と規定している国も少なくありません。
 今回の都知事選では、このような心も政策も貧しい「貧困都政」からの脱却を願う人々が、広く手を結ぶべきだと思います。


2011年3月7日月曜日

地域ぐるみの運動が核兵器のない世界をつくります

東京におけるアンポを斬る⑩        石村和弘事務局長 原水爆禁止東京協議会

核兵器を肯定する石原都知事
2月18日、定例記者会見で石原都知事は「国連なんてものは、これっぽっちも信用できない。私はもともと核保有論者」と述べました。この種の発言を石原氏は繰り返してきました。とんでもない人物が12年間も都知事として君臨していたわけです。

首都に外国軍基地の異常
東京都には米軍横田基地あります。世界中を見廻しても、首都に滑走路4000㍍を備える外国軍基地がある国はありません。アメリカでこの話をしても「首都東京に空軍基地があるはずがない」と言われてしまいます。昨年、横田基地常駐機の130C輸送機と同型の米軍輸送機がアラスカ基地から3㌔㍍地点に墜落しました。横田基地3㌔㍍以内には小中高の学校が31あり、子どもたちにとっても大変危険な基地です。

 米軍横田基地に核疑惑!
朝鮮戦争から最近のイラク戦争まで米兵を戦地に送り込んできた基地です。その上に、核兵器の持ち込み疑惑が何度も指摘されてきました。
米軍の規定によれば、「必ず大爆発、大被害になるので、消火作業を試みてはいけない、第一義的に避難せよ」となっている「危険度ナンバー1」の弾薬庫が確認され、核シェルターといわれる「EWOシェルター」の存在が国会で暴露されたことがあります。また、核事故処理部隊が存在し、横田基地のC130が核兵器を積んで飛行中に爆発事故を起こした想定で、「ブロークン・アロー」演習が行われました(1980年4月10日)。さらに、横田基地に核兵器が空輸したとの元米軍兵士の証言もあります。
現在、横田基地に核兵器が存在しているかどうかは確認できませんが、核爆弾が持ち込まれたり、運び出される基地になっていることは明らかです。

 日米が共同で新たな危険
本年度、自衛隊航空総隊が米軍横田基地に入ります。「ミサイル防衛」の任務を日米共同で行うのをはじめ、自衛隊は米軍の指揮下で戦争の指令及び実戦を共にします。このような危険な動きに反対し、基地撤去を求める運動も進められています。

「核兵器ノー」新署名を成功させよう
2月15日、「核兵器全面禁止のアピール」署名運動がスタートしました。この運動に国連事務総長がメッセージ寄こしました。「私は、人々がいたるところでみなさんのよびかけに署名し、そうすることによって高まる交渉開始をの合唱に、自らの声を合わせていくことを願っています」と。
この署名の賛同には東京の西東京市長をはじめ10自治体首長をはじめ210自治体から1カ月余りで賛同を頂きました。昨年、世田谷の革新懇は、区内の団体の中心となり、区議会で平和市長会議加盟を全会派一致決議し、5月には16名の代表団をNPT再検討会議成功のためニューヨークに派遣しました。この世田谷などの運動が、核兵器廃絶の国際世論をつくりあげました。
新署名を成功させるには、地域ぐるみの運動が必要です。この運動が核保有国に核兵器禁止条約の交渉のテーブルに付かせることになります。
 

石原都政で大幅に後退した消費行政

  岩佐 恵美(代表世話人、元参議院議員)
これは、221日代表世話人会における「話題提供」の概要です。
  消費者行政予算に大ナタが
消費生活対策費の総額は、01年度198,488万円から、10年度には「東京都消費者行政活性化基金」を除いた場合(基金特需?)138,693万円となり、59,795億円(30%の減少)となっている。
≪個別予算≫
・都民参加の推進費1,1826千円が、02年度以降ゼロに
・消費生活対策審議会の予算が半額に
・表示適正化対策費が、約4割減に
・生活関連物資価格等調査費、01年度4,050万円が、02年度からゼロへ  流通環境改善事業が、85%減へ

消費生活センター 関連予算も、97年度の9963万円から、10年度37,919万円へと、53,044万円(約60%)もの大幅減額。
≪個別予算≫
・商品テスト予算は、01年度4,721万円から、10年度1,282万円(73%)削減。
 しかも、テストの内容についても、商品機能比較テストが、01年度で打ち切られ、「商品事故追跡テスト」も02年度までで、03年度からは、「事故防止テスト」に変更された。06年度からは、消費者相談の解決に直接関係のある「相談に伴う原因究明テスト」のみに限定している。(10年度予算では、商品テスト強化事業として、基金から2,800万円)
・消費生活センターの管理運営費も、73%削減。
・消費生活相談等の予算は、01年度比21%削減、97年度比26%減。

「多摩消費生活センター」は機能が縮小され事務所移転。

 消費者行政強化への具体的要望
1)石原都政の消費者行政に対する姿勢の最大の特徴は、トップダウンの独裁的手法に徹し、消費者参加を徹底的に切ってきたことにある。そのやり方を根本から変えさせることが、消費者行政の前進にとって最大の課題である。
2)首都東京には、日本全体の人口の1割が集中し、経済活動の中心地である。そのため、消費者被害相談の件数も全国の14,2%と多く、しかも複雑かつ多岐にわたる内容となっている。現在、都区市町村の相談件数は、128,154件で、うち都の相談件数は、29%となっているが、当然、自治体では手におえない案件が多く出てきており、都の果たす役割が、ますます期待されている。とくに、「多摩消費生活センター」が機能縮小され、相談体制等消費者行政の整備が遅れている多摩地域の自治体、住民の状況は深刻である。
3)消費者関連予算の増額と機能強化
・商品テストは、消費者の要望に応えたテストにすべき。
・消費生活相談については、市町村では、相談員の確保等が困難で、相談に応じる体制がとれないところも多く、国は、広域で近隣自治体が複数で対応すべきという案を提起しているが、問題が多く、実現性は薄い。本来、消費者相談は、国や都道府県が財政的にも、人的にも、組織的にも、自治体を援助すべき分野である。また、相談員のレベルアップのための教育等についても、責任もって強化すべきである。とくに、「多摩消費生活センター」の機能強化は、喫緊の課題。
・消費者・消費者団体への活動支援については、消費者は、企業に対して対等ではないため、行政の積極的な援助が必要である。かつては、そのような体制がとられてきた。韓国で、10団体に、フランスは、18団体へ公的援助が実施されている。
・消費者の安全確保、商品に対する適正な判断などを保証するために、情報収集・分析、消費者へのフィードバック、消費者教育等、消費者の権利が守られる行政サイドの対応が求められる。
・行政は、消費者審議会や、消費者懇談会など、消費者参加を積極的に進めるべき。

2011年1月2日日曜日

安保を遠ざけるマスコミの現況 ~メディアと安保~

東京における日米アンポを斬る⑨
仲築間 卓蔵(元日テレプロデューサー)
1960年の5月から6月にかけての新安保条約反対闘争。日本テレビで働いていた私は、(安保については)単なる野次馬の一人でしかなかった。6月15日、ラジオを聴いていて国会周辺の騒ぎを知る。

当時は、ラジオが主流
当時の放送メディアの主流はラジオだった。テレビは、ラジオのように生中継もできなかった。取材は、100フィートしか入らない「フィルモ」というカメラでの撮影である。5月18日の深夜、警官隊500名に守られての衆院本会議強行採決や国会周辺の状況は取材されているが、放送はニュースの枠だけだった。

国会周辺は、連日、デモ隊に包囲されていた。民放労連の機関紙をめくってみると、私の知らなかった事実が日誌風につづられている。赤坂・山王神社の祭りで、子どもたちのかついだ神輿が「ワッショイ、ワッショイ」ではなく、「アンポ、ハンタイ」に変わって大人たちを慌てさせたというエピソードも記されていた。KRテレビ(現東京放送)の職場では、(米大統領の訪日に関して)「国賓は礼儀をもって迎えましょう」というスポット放送をめぐって紛糾していた。

ラジオ関東(現ラジオ日本)のスタッフはプロ野球中継を終えてFMカ―で帰社の途中、国会包囲行動に遭遇して生中継することになる。ここに録音の一部がある。

「・・・警官隊が激しく暴力をふるっております。(バカヤロー、ナニスンダなどの声)マイクロホンも警官隊によって引きずり回されております。(サイレンの音)警官隊によって今・・・首を掴まれております。今、実況放送中でありますが、警官隊が私の顔を殴りました。そして首っ玉をひっつかまえてお前なにしているんだというふうに言っております。これが現状であります。」(島アナウンサー)。

生中継は、夜10時から深夜の2時30分まで延々と続いている。

私も、タクシーを拾って国会にかけつけた。そんな人がたくさんいたはずである。生中継の影響は大きい。警官隊は野次馬にも容赦はなかった。この日、東大生の樺美智子さんが殴殺されるという事件が起きる。岸内閣はアイク訪日の延期をアメリカに要請した。アイク訪日は中止になった。

マスコミは、権力に屈伏
新聞はどうだったか。6月16日、在京7社(朝日、毎日、読売、産経、日経、東京、東タイ)は朝刊で「暴力を排し、議会主義を守れ」と題した「七社共同宣言」を発表。全国の41紙も右へならえし、民放連も「報道の公正を期す。暴力を否定し、議会主義を守る」と申し合わせた。

これらのマスコミの動向は、国民大衆も、政府自民党も権力への屈服と受けとめた。学者グループは、「言論機関は本来の使命に立ち戻れ」と各新聞社に申し入れた。新聞労連、民放労連、日放労のマスコミ三単産も「新聞、放送は事態の本質をつけ」と共同声明を発表した。

メディアが無視できない「運動の構築」を
日本テレビに労働組合が結成されたのは、翌61年である。テレビ局に次々に労働組合がつくられていく。60年代は労働組合の高揚期であった。私が曲がりなりにも活動できているのは「安保闘争」のおかげだといっていい。

いま、メディアはどうか。あの頃の元気は、ない。60年安保以降、「あのような騒ぎは起こさせない」とする「圧力」に呑み込まれているのではなかろうか。結果は、意識的に「安保」を遠ざけることになる。「憲法」の上に「安保」があるような現実すら見ようとしていないのではないか。メディアに、「安保」を直視してもらうのは「百年河清を待つ」に等しいのだろうか。だが、「直視してほしい」と言い続けなければなるまい。そのためにも、普天間問題をはじめとする、「切実な要求」からスタートする「運動の(あらたな)構築」が望まれる。その「運動」の後を、大手メディアが慌てて追いかけてくるという時期かもしれない。