2013年2月3日日曜日

         東京革新懇 第21回総会 記念講演

               「歴史から見る尖閣諸島・
        竹島問題と日本の右傾化」
     ー領土問題が改憲の手段にー
                            明治大学教授 山田朗
講演の冒頭、領土・権益問題は、ナショナリズムを最も煽る。改憲勢力は、対外的緊張を高めて改憲・「国防軍」創設・軍備拡張に利用しようとしている。1920年代から1930年代-関東大震災から8年で満州事変が起こり戦争の時代へ、現代-大不況、中国情勢(領土・権益問題)、大災害による社会不安・不満の鬱積との酷似を指摘しました。 
尖閣諸島=釣魚島問題
 尖閣諸島は古くから中国の文献に記載あったが定住者の記録はない。1879年、沖縄県設置。朝貢関係にあった清国が琉球を日本領と承認したのは1895年下関条。1885年に古賀辰四朗が尖閣諸島の貸与を日本政府に申請、この段階では清国への刺激を配慮して棚上げ。日清戦争最中の18951 14日に「久米赤嶋久場嶋及魚釣嶋」の領有を閣議決定。国際法上の「無主の地」に対する「先占」として、以後、日本が実効支配。
 1969年、国連アジア極東経済委員会の報告書が尖閣諸島周辺の海底に石油・天然ガスが大量に存在する可能性を指摘して以降、台湾、中国が領有権を主張。 
竹島=独島問題
 竹島、松島と呼ばれアワビ漁に使われていた。定住者の記録はない。江戸時代・明治初期は、隠岐島以北は「外国」という認識。
19011025日、大韓帝国が勅令で「欝陵全島と竹島、石島」を鬱陵郡に編入。この「竹島」が独島なのかどうかは異説あり
1904 、中井養三郎(隠岐島・アシカ漁)が領土編入と10年間の貸与を政府に申請。1905 128日、日本政府、「竹島」と名づけて領有を閣議決定。日露戦争の最中(日本が韓国への支配権強化の時期)であり、同年11月に第2次日韓条約(韓国の保護国化)が結ばれ、1910年には韓国併合が行われている。 
歴史から見た領土問題の本質
発端として近代日本の膨張主義・戦争があり、「尖閣」(1895.1)「竹島」(1905.1)の領土編入の時期が重要。戦争と植民地支配強化の時期であった。
事態を曖昧にしたのが第二次世界大戦の戦後処理。ポツダム宣言は、カイロ宣言(第一次世界大戦以降に日本が奪った領土の剥奪、満州・台湾の中国への返還、朝鮮の独立を日本に要求)を組み込んでいる。朝鮮戦争只中、冷戦下の片面講和としてのサンフランシスコ講和条約(1951年)は、当事者のソ連・中国(旧連合国)と韓国・北朝鮮が参加しない場で領土画定、ソ連が作った既成事実を容認、領土問題の微妙な部分は棚上げ方式がとられた。 
本報告の結論
①「領土問題」紛糾の元凶は、当事者抜きに決められた講和条約にある。
②近代日本の膨張政策・戦争の反省の上にたった対話の土俵の必要。→未着手・未完の「戦争の後始末」を進める。
③「領土画定」ということだけを結論にしない柔軟な発想が必要。→領土問題は、改憲・「国防軍」創設・集団的自衛権・軍備拡張を図るための手段と化している。
④現在=「戦後」を「戦前」にしないために。→人々の政治不信・無力感が改憲勢力によって束ねられる危険性。→ 権威主義・強権主義の台頭を抑える運動を。

※山田講演レジメ(クリック)