2013年7月25日木曜日

憲法制定当時、国民は心から大歓迎!
緊急自費出版 
『心踊る平和憲法誕生の時代』について 
     岩田 行雄(いわた・ゆきお)

押し付け憲法論反撃のために
「国会議事堂の放火したのは共産党だ!」。1933年2月、ナチスが政権を獲得した直後の放火事件。ナチスはこの事件を口実に、共産党を徹底的に弾圧し、さらに憲法の基本的人権に関する一連の条項を停止する緊急条例を発布。第二次大戦後、放火はゲーリングらナチス犯行説が有力となったが、真相は不明。放火事件を利用したナチスの手口と、改憲派のデタラメ言いたい放題及び言論抑圧の手口は酷似している。
改憲派は「占領下の日本政府にGHQが草案を押し付けた」と繰り返し、事実関係については嘘も含めて言いたい放題で世論を誘導している。日本が占領下にあったこと、GHQが草案を提示したことは事実であるが、当時の世論や国民の姿には一切ふれない。一方、平和憲法を護ろうとする側も、様々な憲法書を読んでも、当時の「憲法民主化」の世論や国民が平和憲法を歓迎した姿に確信を持って運動を進める材料が乏しかった。
4月に緊急出版した『心踊る・・・』は、正確な歴史的事実を以って「押し付け憲法」論に対して痛烈な反撃を行い、護憲運動にとっては大きな確信につながる憲法書である。 
積極的に平和憲法制定を報道、当時の新聞各紙
本書ではとくに、戦後発行されていた新聞65紙を徹底的に調査し、そのうちの61紙を引用している。対象とした期間は、昭和20年8月から昭和22年6月まで。この研究のため、国立国会図書館以外に、宮城、茨城、群馬、千葉、埼玉、山梨、静岡、富山、福井、徳島、香川、鳥取の各県立図書館および広島市立図書館を訪問したが、当時の新聞各紙が平和憲法誕生の誕生に果した役割が非常に大きいことが判った。
本の題名は、昭和21年に徳島市役所前で行われた阿波踊りの行事に因んでいる。
「十一月三日は新憲法公布の日だ、新日本の黎明だ、平和だ、友好だ、豊年じゃ、満作じゃ、みんなで祝う、阿波踊りが許された、踊りおどるなら華やかに踊ろう」
この喜び溢れる言葉は、昭和21年11月1日付の『徳島民報』一面に掲載された《新憲法祝賀おどり》の広告の文章である。日時は、十一月三日朝九時から夜十一時まで。 
自主的、主体的な世論で憲法民主化

『心踊る・・・』の最大の特徴は、昭和20年末(!)までに「憲法民主化」の世論が、自主的、主体的に形成されていたことを実証していることである。本書第一部59頁の表1「平和と憲法の民主化を求める世論」は、日付、新聞名、社説、記事、見出しの一覧表で、必見である。因みに、12月29日付『讀賣報知』の社説は「憲法改革を人民の手に」である。
国民は平和憲法を大歓迎!!
本書の第二の特徴は、当時の国民が平和憲法を心から歓迎していた姿の具体的な紹介である。「第四部・新憲法公布の記念行事」は、北海道から鹿児島まで全国各地での祝賀行事を収録した。「第五部・新憲法祝賀広告」は、「大企業からキャバレーまで、そして露天商の組合も!」と題して、祝賀広告を依頼した広告主を紹介。第六部は、政府と議会が共同して行った「憲法普及会」の幅広い活動を紹介している。
本書と共に、私のブログ『岩田行雄の憲法便り』も参照していただきたい。

※本書の購入申し込みは、美和書店
   ℡3402-4146へ。1冊1050円。

法改正をめざす運動に求められるもの 
          前日弁連会長 宇都宮健児さん
 
グレーゾーン金利の廃止など、法律を変えた取り組みについて、構え、視点、留意点などについて、627日にインタビューしました。

 私はあるきっかけからサラ金問題にかかわるようになった。当時のサラ金の金利は年100%前後。無法状態を無くすには立法が必要と、「全国クレジット・サラ金問題協議会」を結成。被害者組織も最盛期には47都道府県に88団体できた。最初に1983年に「サラ金規制法」が成立、その後幾度か法改正したが、出資法の上限金利と利息制限法の制限金利との間のグレーゾーン金利が残った。 
逆に金利引き上げの危険も
 サラ金業界は、大もうけし06年には大手のサラ金の大半が一部上場、テレビでは1日中サラ金のCM流れる状況。05年に小泉郵政選挙で自民圧勝。サラ金業界は、金利規制撤廃を主張、小泉・竹中の規制緩和路線にも合致。貸金業政治連盟は自民や民主の有力議員にカネを配っていた。アメリカ資本がサラ金を買収、株を買っており、ブッシュ政権は、金利を下げるなと日本政府に圧力。金利が逆に引き上げられる危険があった。
 運動のウイングを広げなければと、連合も加わる中央労福協に「クレサラの金利問題を考える連絡会議」を結成、日弁連にも「上限金利引き下げ実現本部」がつくられた。本部長は日弁連会長、私が本部長代行となった。こうして、全国の弁護士会を動かせるようになった。
 高金利引き下げ署名を短期間に340万集め、金利引き下げを求める意見書は、43都道府県議会1136市町村議会で採決され、その地域を選挙区とする国会議員に大きな影響を与えた。
 世論対策では、朝日、毎日、東京は比較的消費者サイドだったが、読売、サンケイ、日経は業者より。読売に、グレーゾーン金利撤廃(以下撤廃と略)の記事を書かせることを重視、最終的に読売も撤廃すべきとの社説を打つようになる。
 テレビのワイドショーが国会議員に影響力があるので、ワイドショー対策をやって、みのもんたの「朝ズバッ!」などで取り上げてもらった。
 衆議院480人、参議院242人の中で多数派を形成できれば法律は出来る。国会議員対策は日弁連が中心なり、各弁護士会から地元の国会議員に要請と報告してもらい、「金利引き下げ賛成」◎、「どちらかといえば賛成」○、不明△、「どちらかといえば金利引き下げに反対」×、「強固な反対派」××と整理、報告のない弁護士会は督促した。
 各地で集会開催をお願いし、必ず地元メディアと国会議員への呼びかけを徹底した。
 自民党政務調査会に貸金業制度小委員会がつくられることとなった。政調会は自民党の国会議員であれば誰でも参加できる。私は日弁連代表として毎回小委員会に出席。各弁護士会から◎の議員に出席するよう要請してもらった。◎の若手議員が堂々と発言し古株の議員に対抗する。発言した議員に弁護士会からの激励を要請した。11回の議論を重視、サラ金業界寄りの議員を孤立させ、金利引き下げ派が自民党でも多数派になり、法改正が実現した。 
国会での多数派形成をめざすには
 国会で多数になるには、常に現場から発想し政治的立場を超えてつながることが重要。
国会開会中は、地方での集会等は土日にやらないと地元の議員は出られない。一般市民に影響与えるだけではダメ。
日弁連が院内集会を開催する場合、共産・社民の議員には頼みやすいので議員会館の部屋を取ってもらうと与党議員はこない。どういう伝手でもいいから自民、公明の議員に頼みなさいと言っている。
 議員要請の資料に「赤旗」記事を持っていくと偏見の目で見られる。内容が同じなら朝日、読売などにすべきだ。政党間のこまやかな、現実的な政治力学を理解すべきだ。
運動は楽しくやらないと長続きしない。秩父困民党の蜂起は、高利貸しの借金が払えず田畑を取られたことがきっかけ。この困民党の闘いを映画化した「草の乱」の上映運動を行う一方で決起集会に、困民党が蜂起した椋神社から当時の衣装でマラソンリレーをやり、このリレーには若手の自民党議員も参加した。
 要求が通らなくとも頑張り続けている運動はすごいと思うが、負け続ける運動は意気が上がらない。少しずつでも成果を獲得していくことが運動を継続する上でも重要。
10万人集会やっても、メディアが報道しなければあまり影響力ない。金利問題で500人の集会・デモだったが東京新聞が大きく報道、テレビも伝えた。少数でも大きな影響を与えることを考えるべきだ。 
政党の決めつけ
 運動をやっていて感じるのは政党に対する決めつけ。自民党は財界の味方と見られがちだが、一枚岩的な政党ではなく、一人一党、後援会政党の集まりだ。民主も同じようなもの。多様性がある。現在の政界では公明党がキー政党になっており、対策が重要だ。都道府県議会、市町村議会で金利引き下げの意見書を採択してもらう際は、まずどの政党に誰があたるか要請の仕方を工夫した。