古賀 義弘(嘉悦大学前学長 練馬革新懇共同代表)
この3.11大震災と東電福島原発事故は、あまりにも大きく悲しい犠牲を生み、今なおさまざまな不安と怒りが渦巻いています。そして福島原発事故は人の存亡さえも左右する事態をも招いていて、その解決の見通しも立っていません。このような事態を、私たち研究や教育に携わる者として見過ごしてしまう訳にはいきません。
大震災や原発事故に対して、全国の研究者から積極的な発言や行動が相次いでいます。深い学問レベルから指摘する意見、国民に広く啓蒙するための提起や解説が行われており、そのことが国民の研究者への信頼と期待になっています。まさに研究者の社会的使命がここに体現されており、頼もしくまた心強い限りです。
翻って私自身が「なぜ研究者への道を選んだか」と自問自答すると、知らないことを知りたい、問題の問題たる所以を明らかにしたい、そしてそれを追求し、研究することで世の人々や社会に、ほんのわずかかも知れないが役立てたいとの思いからでありました。その過程で学生に対して、自分の専門分野から「社会や人間を洞察し、どのように生きて行くのか」との問題を提起する仕事に情熱を傾けてきました。その意味では、少なくとも「志し」を持って取り組んできたとは思っています。
人によって比重のかけ方や濃淡はありましょうが、少なくとも研究や教育に携わる人は一定の「志し」を持ってその職につき、それは現在も脈々と流れているものと思っています。私は今回の大震災と福島原発に直面し、研究者・教育者として発言しなければならないことは発言しよう、それが社会的責任であると改めて思いました。
「7.2原発ゼロをめざす緊急行動」が明治公園で開かれました。福島の皆さんや松山の学生さん等を含む2万人が参加するという、近年にない大きな集会でした。その呼びかけには数人の研究者や弁護士の先生方も入っておられ、専門分野に閉じこもることなく社会的な役割を果たされていることに強い刺激と尊敬の念を持ちました。
炎天下の会場で、研究者仲間の姿を探しました。顔を存じ上げている方も見かけました。しかし人が多かったせいか、親しい研究者仲間にはついに出会うことが出来ず、知人のいる隊列に入れてもらいパレードに参加しました。
人それぞれに都合があります。思いも違います。それは当然のことです。その思いや違いに立って、研究者・教育者として私たちは、今何を考えなければならないか、何をなすべきかについて考えることがとても大切な時期であると思います。
今問われていることの一つは、研究者が社会に向かって発言する事ではないでしょうか。「御用学者」という言葉も聞かれます、研究費配分や昇格・昇進に研究以外の力学が働いているということも聞こえてきます。これは研究や教育の場にある者としてとても悲しいことです。敢然と決別しなければなりません。
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