2011年6月8日水曜日

日本の原子力研究開発は米国の誘導で

                      市川 富士夫(元日本原子力研究所研究員)
                                                                    地下鉄革新懇にての講演
○米国の意向と「平和利用3原則」との矛盾をかかえて
 米国のアイゼンハウアー大統領が原爆一本から原子力発電との二本立てに原子力政策を変更、自国で原発を実用化するとともに、日本へ巧妙に原子炉を売り込んだのである。その際、中曽根康弘氏が重要な役割を果たした。その一方で日本学術会議は原子力平和利用三原則(自主的研究開発、民主的運営、情報の公開)を決定し、その趣旨は原子力基本法に引き継がれた。日本の原子力研究開発は、米国の意向とそれに便乗する勢力と、平和利用三原則とその背景にある国民世論との矛盾をかかえてスタートしたのである。
○「安全神話」の根源は、米国の売り込み宣伝
米国の宣伝は「軽水炉の安全性は実証済み」で、日本政府も電力会社もこれを鵜呑みにしたが、実際は建設中のものしか実用炉はなかったのである。米国でも日本でも軽水炉のトラブル続出し、その苦肉の策として軽水炉に種々の安全装置を付加して多重防護と称する日本流「安全神話」を振り撒いたのである。「安全神話」とは、「炉心溶融に至るような原子炉の過酷事故は起こり得ない」という思い込みで、その説明として「原子炉の燃料は、被覆管、圧力容器、格納容器、建屋という四重に囲まれている」と言われてきたが、これが今回の大事故で破綻したのである。
○冷却電源の喪失で、最悪のメルトダウン
原子力発電は、炉心冷却のため外から電気を必要とする宿命を持っている。今回の福島原発事故では、地震で受電鉄塔が倒れて停電し、予備のディーゼル発電も津波で使用不能となり、完全な電源喪失状態となった。その結果、原子炉の核反応は停止したが核燃料の崩壊熱を冷却する機能を失ったために、核燃料が破損、溶融(メルトダウン)して圧力容器底部に落下し、水素爆発が起きるなど最悪の事故が発生したのである。東電は収束工程表を発表し、その期間を6~9カ月としているが、その通りに進むことには困難が予想される。再臨界となる可能性は否定できない。
○深刻な放射能の汚染
 東電の作業員の被爆管理は杜撰で、環境汚染対策はその場しのぎで異常時の対応能力がない。低レベルと称する廃液を直接海に放出し漁業者に多大の迷惑をかけるに至っては無知と傲慢としかいう言葉がない。土壌汚染も深刻である。汚染大気は一時東京にも到達した。遺伝的影響を考慮する場合は、個人の被爆線量と人口の積で示す集団線量を求める必要である。X線による診断や治療で受ける被曝量に比べて環境汚染がたいしたことがないと説明されることがあるが、被曝はそれによる危険と利益のバランスにより許容されるのが原則であり、原発事故による住民の被爆には何の利益もないので、このような比較は元来ナンセンスである。原子力安全保安院は、今回の事故による放射性物質の放出量を、37京ベックレルと発表した、まさに天文学的数字である。
○関係機関の対応をどう見るか
 (1)東京電力は業界、財界における指導的地位におごるところがあり、事故の当事者として情報を迅速正確に発表したとは言い難い。
 (2)原子力安全保安院は推進の立場の役所であり、東電に対する監督官庁であるにも拘わらず、むしろ東電擁護の態度であり、独自の情報収集も不十分である。
 (3)原子力安全委員会は本来なら先頭に立って事態の処理に努めるべきであるが、腰が重く現地に委員を派遣するのも遅かった。東海村のJCOの臨界事故の時は、初期から安全委員の住田健二氏(全国革新懇ニュース5月号の一面に登場)を派遣し対処したが、支えたのは原研の研究者たちであった。
 (4)政府は、非常時における危機管理能力が問われているが、足の引っ張り合いをしたり権力争いをしたりする姿を国民は冷静にみている。

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