2018年7月24日火曜日

朝鮮半島情勢と憲法「改正」
明治大学教授・東京革新懇世話人 山田 朗
 612日の米朝首脳会談により朝鮮半島の緊張状態は緩和した。日本政府それ以前の緊迫期において、これまでのイージス艦とパトリオットミサイルからなる弾道ミサイル防衛システムに地上配備型のイージスアショアを加えるというハードウェアの強化にふみきったが、情勢の転換にもかかわらずそれがキャンセルされそうには思えない。中国の軍事力強化もあわせて、朝鮮半島情勢の緊迫化は、ハードの強化だけではなく、集団的自衛権の容認というソフトの改変まで進み、さらにはソフトとシステムの中核である憲法9条の変更を求める動きを強めるに至っているが、6月以降においてもこの状況には根底においては変化がない。 
朝鮮半島情勢と日本の軍拡 
 東アジアにおける軍事的緊張は、朝鮮半島のDMZ(非
武装地帯)と台湾海峡を挟んで、大規模な軍事力が対峙していることに起因している。ここでは、台湾海峡はひとまず置くとして、朝鮮半島の緊張が、それが何故に日本の軍拡や憲法「改正」を促すことになるのかを考えてみたい。
 朝鮮半島情勢が日本に影響を与えるには、歴史的要因(朝鮮半島情勢が過去に日本の軍事の在り方を改変した経験)と現在の日本の軍事戦略という2つの要因がある。歴史的要因についてはここでは踏み込まないことにして、まずは現代日本の軍事戦略、軍事的スタンスそのものについて検討してみよう。
 まず、第一に確認しておかなければならないのは、軍事力は存在するだけではそれが直ちに「脅威」にはならないということである。軍事力やそれを手段とする戦争は、あくまでも政治(国家戦略)の延長線上にあるもので、政治的に敵対関係にある相手の軍事力の存在は「脅威」とみなされるが、そうでない軍事力はそれが存在していても「脅威」とは認識されない。たとえば、現在の日本に最も近接する、最も強大な軍事力は、中国でも北朝鮮でもなく、アメリカ合衆国の軍事力である。しかし、日米同盟のもとでは、アメリカ軍は決して「脅威」とみなされず、そのアメリカの軍事力に対峙する中国や北朝鮮の軍事力のみが、日本を圧迫する「脅威」とみなされることになる。
 現在、朝鮮戦争の再来のような〈朝鮮有事〉の現実性はきわめて低い。韓国側の戦略基調は北朝鮮を攻撃して崩壊させることにはないし、北朝鮮にも全面戦争を遂行する客観的基盤がない。かつての朝鮮戦争(1950-53年)の際には、北朝鮮に対してソ連が武器・弾薬・燃料など〈モノ〉〈カネ〉を供給し、中国が戦闘要員の養成と出撃のための基地だけでなく、義勇兵というかたちで〈ヒト〉までも提供したが、現在、戦争のために北朝鮮に〈ヒト・モノ・カネ〉を公然と供給できる国はない。それゆえ、北朝鮮は、核とミサイルを使って威嚇はできても、みずから進んで戦争に撃って出る基盤なく、アフガンやイラクのように、アメリカが無理矢理に戦争に突進しないかぎり朝鮮半島における全面戦争というシナリオは成り立たないのである。
 朝鮮半島における全面戦争(朝鮮戦争の再来)というシナリオが成り立たないのであれば、南北統一戦争の余勢を駆って北朝鮮軍が日本に侵攻する可能性もないし、そもそも日本まで侵攻することは「朝鮮半島の統一」という大義から大きくはずれるものであるから、北朝鮮単独で実施できる戦争ではない。このように北朝鮮が、日本侵攻を狙うものでないのであれば、本来であれば、現在の情勢において日本が北朝鮮を安全保障上の「脅威」とみなして軍拡をしたり、改憲する理由にもならないはずである。
 だが、なぜそうならないのか。それは、朝鮮半島情勢にアメリカが深く関与し、そのアメリカに日本が基地を提供するだけでなく、日本の軍事力(自衛隊)がアメリカと不即不離の関係性をますます強めているからである。日本政府が集団的自衛権を容認することによって、その関係性はいっそう強まった。現在の朝鮮半島情勢においては、集団的自衛権の容認とは、アメリカの敵は日本の敵であり、アメリカの「脅威」は日本の「脅威」であり、アメリカの戦争は日本の戦争である、ということの容認に他ならない。
 北朝鮮「脅威」論は、日本の対米従属の裏面にほかならないのである。
 要するにアメリカと北朝鮮の関係の悪化があってこそ、日本と北朝鮮との関係の悪化があるわけで、日本と北朝鮮との間には、拉致問題などさまざまな未解決の懸案があるにしても、純粋に2国間において戦争に訴えなければならないような問題などない。それゆえ、日本が北朝鮮と対等なかたちで外交交渉ができる態勢にあれば、北朝鮮を「脅威」とみなしたり、朝鮮半島情勢の「緊迫」を理由として軍拡や憲法「改正」に舵を切る必要性などないのである。
 アメリカが北朝鮮を「脅威」とみなす限り、日本政府は北朝鮮を「脅威」とせざるを得ない。ということは、もしもアメリカが首脳会談を契機に、北朝鮮との対話路線に完全に舵を切った場合、アメリカに全面的に従属して北朝鮮への「圧力強化」のみを主張してきた日本政府はどうするのか。日本は外交的に袋小路に追い込まれることになるが、そうなったとしても政府は憲法「改正」路線を修正しようとはしないだろう。北朝鮮という口実がなくなれば、中国を口実にできるし、結果として憲法9条を始末できればよいからである。あくまでも9条「改正」による軍隊保有、軍隊保有による「大国化」こそが目標であり、さまざまな「脅威」は口実なのである。 
必要なのは包括的軍縮 
 北朝鮮の兵器開発は、この2年ほどの間に、弾道ミサイルの開発と核爆弾の開発がセットで急速に進み、いよいよICBMSLBMクラスの長射程弾道ミサイルに搭載する実用核弾頭の実戦配備に進むことが懸念される段階になって、状況は一転した。「非核化」への歩みはどうなるか予測はつかないが、「朝鮮戦争の終結」が実現できれば、これまでの朝鮮半島情勢は大きく変化させると言ってよいが、「脅威」の焦点は明らかに中国へと移行するであろう。
 このような状況に直面し、必要なのは北朝鮮や中国の軍拡に対抗する軍拡ではなく、アジアにおける包括的軍縮である。このまま北朝鮮が極端な軍拡を継続することは、かつてのソ連のように北朝鮮そのものの経済的破綻・崩壊の危険性を増大させていたので、当面はそういった状況が回避されたことは、日本社会にとっても幸いであった。北朝鮮が自滅的に崩壊することは、膨大な難民の流出などで東アジアの政治・経済に計り知れない混乱を引き起こすことは必至である。また、北朝鮮の軍拡がICBMSLBMクラスの長射程弾道ミサイルが実用核弾頭を搭載する能力を有するようになれば、アメリカが軍事介入をする口実を獲得し、朝鮮半島と日本を巻き込む、犠牲を省みない戦争に撃って出る恐れもあった。今後ともアメリカは、やるとすれば自国本土が危険にさらされる前に、武力行使に踏み切るであろう。
 だが、現実には、北朝鮮が欲しているのは、韓国や日本との戦争ではなく、あくまでもアメリカとの交渉の糸口を作り、自国の安全をアメリカに保障させることであり、その危機意識の源泉は、自国に近接して韓国・日本に展開するアメリカの強大な軍事力の存在である。それゆえ、これ以上、韓国・日本のアメリカの軍事力が増強されたり、日本がアメリカに同調して対北朝鮮(これは転じて対中国にもなる)軍事力を増強することは、北朝鮮をさらに追い込むことにはなるが、決して抜本的な方向転換を引き出すことにはならないだろう。これは、第2次世界大戦に参入する直前の日本が、アメリカの圧力が強化されればされるほど、むしろ戦争へと傾斜していったのと同じことである。
 北朝鮮に一方的に軍事的圧力や経済封鎖によって拙速に「非核化」を迫っても、核があればこそアメリカと対等になれると考えている北朝鮮国家指導層の譲歩を実現するのは難しいだろう。また、北朝鮮への圧力を強化するために日本がさらなる軍拡へと傾斜すれば、それは、北朝鮮をさらに破滅的な軍拡あるいは戦争へと追い込むだけでなく、恐怖の均衡が継続したとしても、日本の軍拡は必ずやただでさえ軍拡基調にある中国の軍事力増強に拍車をかけさせる結果となる。中国のさらなる軍拡は、インドの軍拡を招き、インドの軍拡はインド洋周辺諸国やパキスタンを軍拡に走らせ、中東諸国ひいてはイスラエルやイランの軍事力強化へと連鎖することは必定である。つまり、朝鮮半島情勢に起因する日本の軍拡が、東アジアの危機を高めるだけでなく、世界規模での軍拡の連鎖をひきおこすことにこそ、日本の軍拡、憲法「改正」の本質的問題点が存在する。
 それゆえに、朝鮮半島情勢に対処するにあたっても、眼前の北朝鮮を力で抑えるということではなく、軍拡の連鎖から脱出する道をさぐることこそ重要であり、そのためには、対北朝鮮戦略の柔軟化(対話の促進)と対中国戦略の転換が北朝鮮の姿勢をかえさせ、アメリカを軍事的暴発に走らせないためのキーであると考える。