2019年4月2日火曜日

天皇代替わりで思うこと         

岩本 努 
 歴史教育者協議会・日本教育史研究会会員

「平成最後」の大合唱
「平成最後の・・」がメディアにあふれかえっています。91回目を迎えた選抜高校野球は元号と全く無関係なのに、選手宣誓に「平成最後の甲子園を最後まで諦めず、正々堂々と・・」とあったのにも驚かされます。そもそも元号は「皇帝が時を支配する」という思想から権力が使い始めたものであり、人々がそれを使うのは服属、つまり臣民となることにほかなりません。「平成最後」の連呼は元号への同調圧力ともなっています。政府が新元号を発表する4月1日以前に関係者を足止めし、保秘を徹底するということも報じられています。元号を天皇の承認や新天皇の手によって公布するという形をとりたいからでしょう。これには1868年、まだ京都にいた天皇が発した「明治改元の(みことのり)」(慶応4年を改め明治元年とする今後は1人の天皇の時代は一つの元号とする一世一元とせよとするもの)の影がちらついています。以後、明治政府は教育を通して、国民を天皇の臣民とする政策を強力におしすすめることになったのです。
教育勅語と御真影の果したもの
 国民を天皇の臣民(皇国民)化する上で使われたのは教育勅語と御真影でした。教育勅語は1890(明治23)年の発布、御真影はその前後から学校に下賜されるようになりました。両者が国民の上に君臨するようになるのは、学校儀式で使われるようになってからです。儀式では御真影への最敬礼が強制され、教育勅語が読みあげられました。儀式は荘厳な雰囲気づくりが演出されました。教育勅語は「朕惟フニ」から「庶幾フ」まで315字。このなかで最も多く使われている用語は「臣民」で、5回出てきます。国民を天皇の臣民とすることが教育勅語の目的でした。教育勅語は子どもたちには難解です。しかし、儀式は勅語の内容を理解させることが目的ではありませんでした。重々しい雰囲気の中で、粛々と進む式次第に知らず知らずのうちに、天皇は恐れ多い存在であること、天皇には絶対逆らうことができないという感性をつくることが大事だったのです。
 御真影や教育勅語謄本は校内では「最モ尊重ニ」扱わなければならないものでしたし(1891年の文部省訓令)、学校で男子教員が宿直するようになったのも、これらを護るためでした。「最モ尊重ニ」はやがて教員の命にかえてでも護らなければならないものなっていきます。火災、地震、戦争中の空襲という災害のなかで、御真影、教育勅語謄本を護ろうとして殉職したと記録されている教職員は28名いますし、敗戦後の処理(勅語謄本の返還、奉安殿の撤去)中でも二人の殉職者が出ています。
戦後の教育勅語復活論と道徳教科書の出現
 第二次大戦の敗戦後、明治以降の皇民教育の反省と教育改革のなかで、御真影は回収され、教育勅語は失効・排除の国会決議の後、回収されます。しかし、その後も国会などで首相や文部大臣などが「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ・・」など現在でも道徳的基準だなどの擁護発言が続きます。政治家の発言は、個人的な見解だとことわったり、世間の反応をみる「観測気球」の面がありましたが、2002年ころから「新しい歴史教科書をつくる会」が主導した中学校の歴史教科書(扶桑社版)で教育勅語の現代語訳が紹介されるようになり、各社が追随するようになります。教育勅語は国民すべてへの「観測気球」から生徒が教材として学ぶ教材となったのです。その教材は、教育勅語をどう紹介しているのでしょうか。
教育勅語擁護論者が「現代でも通用する」と主張する「父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ・・」など14の徳目を収斂させていた「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スへシ」の部分は以下のようになっています。
「もし、国や社会に危急のことがおきたならば、正義と勇気をもって(おおやけ)のために働き、永久に続く祖国を助けなさい。(一部要約)」(育鵬社版・中学社会、2015年発行)
「もし国家や社会の非常事態がおきれば、義勇の心を発揮して、国の命運を助けなければならない。(現代文で要約)」(自由社版、2017年発行)
 教育勅語を「現代でも通用する」風に解釈しているのです。戦前、文部省が教えていたこの部分の解説は「もし国に事変が起ったら、勇気を奮ひ一身をさゝげて、君国のために尽さなければなりません。かやうにして天地と共に(きわまり)ない皇位の御盛運をお助け申し上げるのが、我等の務めであります」でした(『尋常小学修身書 巻六』一九二七年発行)「君国」とは「君主の統治する国」(『広辞苑』)です。これをみれば、教育勅語教育の目的は前述のとおりであることは明白です。
 教育勅語を肯定する教科書の発行を認める文部科学省のもとで、小学校では2018年度から、中学校では2019年度から道徳の教科書が使用されはじめました。戦前、教育勅語の内容を教えたのは修身でした。「平成最後」や新元号キャンペーンが吹き荒れる現在、教育勅語や修身の歴史を学び語り継ぐことの重要さはいよいよ増しているのです