2015年10月1日木曜日

9月26日東京革新懇世話人学習交流会 五十嵐仁さんの講演要旨

戦争法案とのたたかいと政治変革の展望
             五十嵐 仁
  
 926日の東京革新懇世話人会・学習交流会における五十嵐仁(東京革新懇代表世話人・法政大元教授)さんの講演をご紹介します。

 
戦争法とのたたかいは、試合に負けたが勝負には勝った。決着は次の参院選、解散・総選挙でつける。国民の民主主義的覚醒―政治変革の必要性と決意、主体形成が促された。パンドラの箱に残った希望は民の声―それを国民連合政府樹立の力とするのが課題だ。 
Ⅰ.国会での審議・採決を通じて何が明らかになったのか
立憲主義・平和主義・民主主義が破壊されたのが、国民に明瞭に見えた。特に立憲主義変えることは許されないと、日常会話に立憲主義が出てくるようになった。
民意は、「法案反対」51%(「朝日」)、「憲法に違反」(「毎日」)、「論議尽くされてない」75%(「朝日」)、「説明不十分」(「読売」)だ。 
Ⅱ.戦争法案とのたたかいで何が明らかになったのか
実証された「反響の法則
強く打てば強く響く―攻撃への反発や抵抗が生まれた。広範な人々が立ちあがり、全国2000ヶ所以上で数千回の抗議、累計130万人以上が路上で抗議した。相次いで新しい組織が結成され、労組など既成の組織は裏方に回って運動を支えた 
デモの復権
原発再稼働反対、秘密保護法制定阻止、戦争法案反対とデモの再生と拡大があった。デモの形態も多彩で、「わたし」が主語で自分の言葉で話し、心を打つ内容だった。
 産経・フジ調査でデモ参加は3.4%(20歳以上で356万人)、「今後参加したい」18.3%。 
獲得された大衆運動の「新しい質」
 3つの潮流が合流し総がかり行動実行委を形成、市民運動を仲立ちとした連合系と全労連系の連携ができた。
 青年・学生参加の背景は貧困と不安であり、かつては「他者」のためだったが、今は「平和で安全な社会にしていく」「自己」のために立ちあがった。
 高齢者と若者、組織と個人、地方・地域と国会周辺のコラボ、土台と上部構造の関係だった。運動の武器としてのSNSが力を発揮した。 
Ⅲ.政治変革・国民連合政府の樹立に向けて
万余の人々への連夜の行動は政治教育となった。「戦争法案今すぐ廃案」から「安倍内閣は今すぐ退陣」へ倒閣運動へと転化した。持続的な運動による世論の変化、裁判闘争、選挙での落選運動がめざされる。
共産党提案の国民連合政府は、入閣は条件にしていず戦争法廃止一点での共闘だ。国民の願いを優先させるか、党利党略に走って第2自民党になるかリトマス試験紙となる。
 解散・総選挙を要求しつつ参院選でネジレをつくり、衆院選で政権交代、暫定政府の樹立めざす。 
参院選での選挙協力がポイント
参院選での1人区対策が重要で、民主・維新・共産・社民・生活の5党による選挙協力が出来るか問われる。与野党差は2814議席覆せば逆転する。総議席の賛成派は148で反対派は90、改選の賛成派は65で反対派は56だ。
 しかし、民主党には、日本会議所属の長島昭久、原口一博、前原誠司、松原仁等がいる。 
今後の対決の焦点と条件
カギを握るのは民主党だ。「右のドアを閉めて左のドアを開けよ」でなければ、「裏切られた」との国民の思いは払拭できない。
上部だけでなく土台が変わり始め、本格的な政権交代の準備が始まっている。上からの風頼みの交代ではなく下からの草の根の力による交代へ 
むすび
「反共主義」では国民の期待に応えられない。
 気分としての「反自民」、政策としての「半自民」との中途半端さを克服し、安倍政権に対する対抗と政策転換の方向性を明確にする必要がある。

 この間の運動で培われた協力・共同の経験を生かして、草の根の地域から国会内や国政に至るまでの幅広い共闘を構築し、安倍首相の退陣を実現して政治を変えていくこと――これこそが安倍首相による「政治的プレゼント」を最大限に活用する道にほかならない。

2015年7月31日金曜日

今こそ問われる日本政府の〈歴史認識〉:「戦後70年談話」をめぐって
  山田 朗 明治大学・日本現代史、東京革新懇代表世話人

 希薄化する戦争の〈記憶〉
 〈歴史認識〉という言葉が、ニュースに登場するようになってすでに久しい。そしてそれは、近隣諸国との外交問題という場面で問題にされることが多い。日本政府の、あるいは日本人の〈歴史認識〉が、最初に外交問題になったのは、1982年の教科書問題(教科書検定で「侵略」を「進出」と書き換えさせたと報道された問題)であった。それ以来、「南京大虐殺」「慰安婦」「強制連行」「植民地支配」「靖国公式参拝」などをめぐって、日本側の〈歴史認識〉がしばしば問われてきた。それは、過去の〈加害〉行為を忘却しつつある日本側と、自らの〈被害〉を日本に忘れさせまいとする近隣諸国側との衝突でもあったと言える。
 戦後70年が経過し、日本人の中の戦争の〈記憶〉は希薄化したことは否めない。もはや、1945年の敗戦以前のことを自らの体験として語れる人は、総人口の1割を切ったと考えられる。それでも、戦争を体験していない多くの日本人の中にも、「原爆」「東京大空襲」などの自らの〈被害〉の〈記憶〉は、多くの人びとの努力によって継承されている。だが、戦後50年前後に出された「河野談話」(1993年)「村山談話」(1995年)で述べられた「従軍慰安婦」や「植民地支配と侵略」に代表される日本人の〈加害〉の〈記憶〉の継承は進んでいないように思われる。なぜ、〈加害〉の〈記憶〉は継承されがたいのか。それを考えることは、アジア諸国との間の〈歴史認識〉のギャップをどう埋めるか、という問題を考える上でも重要なことである。 
戦争の〈記憶〉の継承のされ方
 〈加害〉の〈記憶〉の継承が進まないのはなぜか。戦争の〈記憶〉の継承は、大別して私的継承と公的継承(公的な〈記憶〉の構成)とに分けられる。私的継承とは個人や家族で「ファミリーヒストリー」として継承されるものであり、公的継承とは教科書記述に代表されるものである。私的継承として個人・家族において継承される私的な〈記憶〉は個別具体的で特殊なものを多く含んでいるが、それが地域や社会の中で集約され、同時代人の共通体験として意識されるようになったものが公的な〈記憶〉=〈集団的記憶〉と表現されるものである。この公的な〈記憶〉はその時代を生きた人々の私的な〈記憶〉群の最大公約数のようなもので、この公的な〈記憶〉を土台にして構成・叙述されたもの(教科書など)を使って学校などで社会的に〈記憶〉を継承するのが公的継承である。
 個人の記憶から始まった〈記憶〉の継承は公的な継承の段階をへて、〈歴史〉としての継承へとつながっていく。ただし、公的な〈記憶〉=〈集団的記憶〉がそのまま〈歴史〉になるわけではなく、そこには一般には忘却されていたが、新たに「発見」「発掘」された〈記憶〉が組み込まれる形で〈歴史〉化が進展するのである。ここで重要なのは、〈記憶〉の私的継承が断絶してしまうと(特定の事柄が個人・家族のなかで継承されないと)、公的な〈記憶〉も形成されにくくなり、あるいはきわめて希薄化した公的な〈記憶〉しか形成されず、公的継承に結びつきにくくなるということであり、社会全体の〈記憶〉の希薄化を押し進めてしまうということである。
 「従軍慰安婦」や「植民地支配と侵略」に代表される日本人の〈加害〉の〈記憶〉は、親から子へと語り継がれにくいものであり、放置しておくとそれらの〈記憶〉は薄れ、消滅してしまう。だが、多くの日本人が〈被害〉の〈記憶〉を継承しているように、近隣諸国の人びとの〈被害〉すなわち日本人による〈加害〉の〈記憶〉は、決して忘却されておらず、むしろ公的な〈記憶〉として強力に継承されている。日本側の〈記憶〉の希薄化と近隣諸国側の〈記憶〉の継承、その大きなギャップこそが、〈歴史認識〉問題の本質である。 
「河野談話」「村山談話」継承の重要性
 すでに出来てしまった大きな〈記憶〉のギャップを埋めるためにはどうしたらよいのか。それには、まず、「歴史的には何があったのか」ということを直視し、日本における公的な〈記憶〉を、〈加害〉の記憶をきちんと組み込む形で再構成・継承することが必要である。そして、〈加害〉の記憶を組み込む形で日本人の公的な〈記憶〉を組み直すために必要なのは、第1に「河野談話」「村山談話」の継承であり、第2に教科書などによる〈記憶〉の継承である。第1の問題は、首相をはじめとする日本を代表する立場の政治家が、〈被害〉を受けた近隣諸国と日本人の心情に配慮した、〈加害〉の問題を直視し、反省を表明する公式な声明を出すことで、そうした問題を日本人が決して忘却せずに、将来の糧として生かしていこうとしていることを示すことが大切だと思う。「未来志向」という言葉は美しいが、ややもすると「過去のことは棚上げにして」というニュアンスで使われやすい。未来は現在からスタートし、現在は過去の土台に上に成り立っているとすれば、過去(歴史)から目をそらそうとすることは、現在を誤り、未来を失うことにもつながりかねない。ドイツは、ヴァイツゼッカー元大統領の演説に見られるように、過去の反省を現在の信頼へとつないできた。政治家にとって、〈歴史認識〉はその人物の価値観・倫理観の土台をなすものであるので、貧弱な〈歴史認識〉を示されたのでは、その人物を「代表」としている国民が恥ずかしい思いをすることになる。 
教科書記述の重要性
 近隣諸国との間の〈記憶〉のギャップを埋め、〈加害〉を含めた〈記憶〉の再構成・継承をおこなうには、〈記憶〉の公的な継承の手段である教科書の記述や博物館の展示などが重要だ。〈加害〉の側面にふれるとすぐに「自虐的だ」とか「反日的だ」などと批判する人びとがいるが、「自虐」と反省とは根本的に異なることだ。「自虐」は何者も生み出さないが、反省は確実に未来を構築する糧となる。また、反省がなければ、再び失敗を繰り返すリスクは高まる。もっとも、「反省」が必要だと言っても、〈加害〉を含めた〈記憶〉の継承がなされていなければ、いったい何を反省したらよいのかが分からないであろう。
 1982年の教科書問題以来、〈歴史認識〉問題は、常に近隣諸国からのナショナリズムを背景にした「抗議」という形で姿を現すために、〈加害〉をとりあげることは、日本国内でもややもすると偏狭なナショナリズムを背景にした歴史修正主義にもとづく反発が強まっている。〈歴史認識〉問題は、ナショナリズムから完全に切り離すことは難しいが、さりとてナショナリズムを過度にもちこむと、冷静な議論ができなくなるので忍耐と自制が必要だ。 
〈記憶〉を継承して未来を構築するために
 私たちは、戦後70年たっても戦争の処理(領土問題や戦争被害者への補償など)は終わっていないことを認識する必要がある。この戦争処理が終了していないことがアジア諸国との関係を不正常なものにしつづけている。私たちに今、必要なことは、近隣諸国との間に〈歴史認識〉の議論のための「共通の土台」を作るということである。それには、戦争・植民地支配の実相を次世代に継承することが大切であり、忘却こそが一種の「罪悪」であると考えるべきであると思う。「過去に何があったのか」ということをたがいに直視することを土台にしながら、相互の歴史に対する理解・交流を深めることが重要であり、信頼関係構築の基礎である。戦後世代にとっても戦争は関係のないことではない。先人が清算していない〈負の遺産〉があるのならば、私たちがその清算に参加する必要があるし、〈記憶〉の掘り起こしと継承というその作業は、かならずや私たちと近隣諸国の人びととの新しい未来を構築するポジティブなものになるはずである。
戦後70年安倍談話を前にアジア太平洋戦争を考える
石山久男(憲法会議代表幹事)

安倍談話についての研究者74氏の声明
 7月17日、大沼保昭、三谷太一郎両氏を代表として、国際法学、国際政治学、歴史学の著名な研究者74人が、戦後70年安倍首相談話についての声明を発表した。74氏の声明は、「私共の間には、学問的立場と政治的信条において、相違があります」としながらも、幅広い多数の研究者が、1931~45年の間に行われた戦争の評価について共通した認識をもっていることを示し、そのことを日本国民にも、諸外国の人びとにもぜひ知ってほしい、安倍首相にはこの共通認識をふまえた談話を発表してほしい、との思いをあらわしたものである。そして、もしも国際社会で今日確立している戦争の評価を否定するかのような疑いをもたれる談話を発表したならば、日本に大きな不利益をもたらすことになると、切々とかつ熱く訴えてもいると私は感じた。
 戦後70年にあたり、いま日本国民が何を共通認識として確立しなければならないかについて、この声明はある意味では抑制的に、しかし最低限必要なことを示しているように思うので、この声明にも添いながら、戦後日本の今日までの戦争のとらえ方とその弱点、その克服の方向について述べてみたい。

 日本国民の戦争認識と声明の認識とのギャップ
まず現在の日本国民の戦争認識がどうなっているのかを、「朝日新聞」2013年12月29日付の調査結果からみてみよう。1945年に終わった戦争を侵略戦争だったと考える人は、20代で45%、30代以上では55~60%となっている。一方、侵略戦争ではなかったと考える人が、20代で33%、30代以上では24~27%いる。侵略戦争と考える人のほうが多いが、20代では半数以下であり、逆に侵略戦争ではなかったと考える人が20代では3分の1、30代以上でも4分の1いることになる。
 声明は、満州事変とその後の日中戦争、太平洋戦争を含めた1931~45年の戦争が「その実質において日本による違法な侵略戦争であったことは、国際法上も歴史学上も国際的に評価が定着しております」と述べている。そうしてみると、国際的には定着している「日本による侵略戦争」という評価が、戦後70年たった今でも日本国民の中には決して定着していないというギャップの存在に気づく。このような国民の戦争意識の分裂、全体としてのあいまいさが、「侵略」の事実を否定する戦争認識を支えているのである。

戦争認識が歪められた根源
 なぜ戦後日本の戦争認識はこうなってしまったのか。その主要な根源は、日本の事実上の単独占領軍となったアメリカのアジア戦略・世界戦略にあった。日本を目下の同盟者として利用したいアメリカにとっては、アメリカに忠実に従うかどうかわからない民主的平和的政権が樹立されるのは不都合なので、確実な目下の同盟者になってくれる天皇を頂点とした旧支配層を権力の座につけたのである。昭和天皇は、沖縄をさらに50年もの長きにわたってアメリカの軍事占領下におくことを推奨するメッセージまでアメリカに送って忠誠を示し、自らの地位の保全に成功した。
 このような体制のもとで、旧支配層の大部分は戦争責任・植民地責任の追及をまぬがれ、その結果、日本全体の戦争責任・植民地責任の追及もあいまいにされた。
 また、近代日本の侵略戦争と植民地支配が進む過程のなかで形作られていった日本国民のアジア蔑視意識も、アジアに対する加害責任を日本国民自身が積極的に追及することにブレーキをかける役割をはたした。
 それらの総体的結果として、戦後日本は近隣アジア諸国と正常な関係をきずくことに多大な時間を要した。韓国との国交正常化までに戦後20年、中国との正常化には27年を要し、朝鮮民主主義人民共和国とはいまだに国交が成立していない。在日コリアンの正当な権利保障や戦後補償問題など未解決の問題も多く残している。
 これらの残された問題を解決し、平和なアジアのなかで日本が平和のうちに生存していく未来をつくるためにも、声明がいうように1931~45年の間において「日本が侵略されたわけではなく、日本が中国や東南アジア、真珠湾を攻撃し、三百万余の国民を犠牲とし、その数倍に及ぶ諸国の国民を死に至らしめた戦争がこの上ない過誤であったことは、残念ながら否定しようがありません。そしてまた、日本が台湾や朝鮮を植民地として統治したことは、紛れもない事実です」という認識を、少なくとも圧倒的多数の日本国民の共通認識にするために、私たちはいっそうの努力を重ねる必要があることを戦後70年にあたって、あらためて確認したいと思う。

安倍首相の「侵略の定義」についての発言
安倍首相らが「侵略の定義は定まっていない」という趣旨の国会答弁をおこなってきたことについて、声明が、抑制的な表現ながら「これは学問的には必ずしも正しい解釈とは思われません」と指摘していることも重要である。
実は声明が指摘する通り、2013年4月、参議院予算委員会で安倍首相は、「侵略という定義については、学会的にも国際的にも定まっていない」と答弁した。安倍首相の意図は、「侵略」の定義は定まっていないのだから、日本の行為を「侵略」と定義することはできない、だから日本がアジア諸国を侵略したとはいえない、と結論づけたいというところにあると思われる。
声明はこれに対し、安倍首相のこうした発言は、「日本が1931年から遂行した戦争が国際法上違法な戦争だったという、国際社会で確立した評価を否定しようとしているのではないかとの疑念を生じさせるもの」と指摘している。

侵略の定義は定まっている
実際は、侵略の定義は国際的に定まっている。第一次大戦後の1920年に成立した国際連盟規約第10条は、各国の領土保全と政治的独立を尊重し、これを外部の侵略に対して擁護すると定めている。
米英中三国がアジア太平洋戦争の最中の1943年に出した「カイロ宣言」は、こうした経過をふまえつつ、「日本国の侵略を制止」することが戦争の目的だと宣言し、日本が他国から奪った領域を返還させるとした。カイロ宣言を引き継ぐとしたポツダム宣言も含め、国際社会の共通認識として、日本が他国の領土と独立を奪った事実を侵略と定義したことになる。
さらに1974年には国連総会が「侵略の定義決議」を採択し、その第1条で「侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する武力の行使」と定義した。
学界の動向についても有力な一例をあげておこう。第一次安倍内閣の時期にあたる2006年に日中歴史共同研究を行うことが合意された。2010年に公表された報告書には、各時期・テーマについて日中双方の研究者が執筆した論文を併載しているが、日中戦争を扱った近現代史第二部第二章のタイトルは、日本側の論文が「日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦」、中国側の論文が「日本の中国に対する全面的侵略戦争と中国の全面的抗日戦争」となっており、どちらも日本側の「侵略」と表記している。日本側委員の人選は政府主導で進められたので、座長の北岡伸一氏をはじめ、政府の立場に近い研究者が多数をしめていたが、それでも日中戦争を中国への侵略とみる点では一致していた。
したがって、侵略の定義は国際的にも学界でも定まっているのであり、声明が安倍首相らの発言に対し「学問的には必ずしも正しい解釈とは思われません」と指摘したのは全くその通りなのである。
ただこれまで、この「侵略の定義」発言に対する反論がきちんとされてこなかったきらいがあり、その意味でも今回の声明の意義は大きいものがある。

戦争を清算できなかった戦後史への反省

 私たちは過去の植民地支配と侵略戦争の歴史を学び反省し、それをアジアの永続的な平和へつなげていかなければならない。そのためにも、戦争の歴史をきちんと清算できなかったのはなぜなのか、どんな問題が残されているのかについて、戦後70年を機に、あらためて学び直さなければならないだろう。戦後生まれの人が8割を超えた今、戦争を単なる過去の問題としてではなく、今と未来の自分の問題としてとらえることにもつながると思う。

2015年6月3日水曜日

横田基地にオスプレイ配備

  東京から他国を攻撃する
    
    岸本 正人東京平和委員会事務局長)

 東京には、在日米空軍横田基地が所在します。首都に外国軍の基地があるのは、日本ぐらいのものです。
その横田基地に、「航空自衛隊総隊司令部」が20123月に移転し、「航空自衛隊横田基地」として運用を開始しています。
日米の司令部が同じ基地に同居し、平時からすでに、「有事」を見こして、情報や運用を共有する「日米共同統合運用調整所」が設置され、切れ目のない情報交換が行われています。
この調整所から、他国を攻撃する司令が出されることになります。戦争法を先取りすることがすでに行われています。
米軍基地に、航空自衛隊の司令部が同居するという、主権を投げ棄てた異常な事態です。

特殊作戦オスプレイ配備
その横田基地に、米空軍が特殊作戦に使うCV22オスプレイ10機を配備すると、政府が発表しました。
周辺自治体に配られた「外務省及び防衛省からの説明」には、――日米同盟の抑止力・対処力の向上になり、アジア・太平洋地域の安定にもなり、歓迎する。米軍は、横田基地に選定した理由について、運用や訓練上のニーズ、機体整備のための施設、格納庫と要員を受け入れるためのスペースなどから、横田基地が最適であると判断したーーとしています。
これで、受け入れを承諾させようとする日本政府に怒りがわいてきました。同時に沖縄県の「建白書」の重みを深く感じます。
 横田基地へのオスプレイと一緒に兵士・軍属約400名も配備され、沖縄の特殊作戦部隊を改編して、横田基地に新設することも明らかになっています。 
CV22に、特殊作戦部隊を乗せ、敵地に侵入し攻撃する。横田基地から他国を攻撃しに行くことになり、本来日本には、配備されていては、いけない部隊です。
横田基地の3キロ圏内には、小中学校が35校あり、基地に隣接して住宅が密集しています。ハワイでの墜落事故と同等の事故が起これば、甚大な被害になるのは明白です。アメリカから見れば、犬小屋ぐらいにしか見えないのでしょうか?こんな屈辱的なことはありません。通常訓練でも事故を起こすオスプレイが、関東周辺や日本全土で危険な訓練を行うようになることは許されません。

 将来6070機に
横田基地への12機以外にも、自衛隊が17機のオスプレイを購入します。また、米海軍が2020年を目途に、基地と空母へ人員や物資を運ぶ艦載輸送機として、海軍用オスプレイ、HV22を10機から20機を調達し、厚木基地に配備することを予定しています。
現在沖縄に24機が配備されており、将来的には、約60機~70機のオスプレイが日本を飛び回ることになります。

全都、近県での幅広い運動でオスプレイ配備を阻止し、沖縄から、日本からオスプレイの撤去を求める運動にしていきます。

2015年4月27日月曜日

教科書採択に関して

  子どもたちに
  正しい歴史認識を育てる教科書を
(三多摩で開かれた教科書学習会の様子)
 今年の7月から8月にかけて、採択地区の教育委員会で、中学校の教科書採択が行われます。東京には54の教科書採択地区があり、地区ごとに採択要項をつくり、教科書展示や学校回覧を経て、最終的には教育委員会で決定されます。東京では4年前の採択で、「戦争を賛美し改憲をすすめようとする社会科教科書」が、大田区と武蔵村山市で採択されました。そうした教科書の採択地区を増やそうという危険な動きが、今、全国で起こっています。
東京革新懇も参加する東京教科書採択連絡会は、以下の取り組みを呼びかけています。
①教育委員会に影響を与えるほどの宣伝…よりよい教科書を選ぶための学習会を各地区で広げ、宣伝を行う等、「戦争賛美の教科書は子どもに手渡さない」という声を町中に広げ、教育委員にも届くようにすることが大切です。さらに多くの住民から要請や陳情が寄せられたり、教育委員会の傍聴が増えたりすることも、教育委員に影響を与えます。
②直接教育委員会に意見を多く寄せる…住民が見やすい教科書展示を求め、毎日子どもたちと一緒に教科書を使って授業をすすめている教職員や住民の声を採択で重視することについて、教育委員会に要請しましょう。
③教科書展示で意見を書く…多くの人々に声をかけ、教科書展示を見に行ってよりよい教科書が採択されるように、意見を書きましょう。法定教科書展示期間は、6月19日から14日間ですが、採択地区で期間を延ばしているところがほとんどです。
④総合教育会議・教育委員会定例会の傍聴を位置付け、採択のための教育委員会だけでなく、今から、総合教育会議・教育委員会の傍聴にとりくみ、採択のための教育委員会(7月~8月)には、全力で傍聴を行うことが大切です。
残り4ヶ月間のたたかいを強めましょう。

                                  



2015年4月8日水曜日

3月16日に開催した東京革新懇学習会の要旨を御紹介します。

戦争する国づくり阻止のために
横田基地・沖縄・戦争法案 
内藤 功 弁護士
 
砂川闘争と砂川裁判
砂川闘争と砂川裁判の意義をとらえ直す必要がある。米軍基地拡張に対して、砂川町民ぐるみの反対運動がわき上がり、57年、米軍基地に入ったとして刑事特別法違反で7人起訴。59330日、東京地裁(伊達裁判長)は、「侵略戦争はもとより自衛の戦争、戦力も禁止している。米軍駐留は、憲法92項が禁止する戦力保持にあたる故に憲法違反」との判決を下した。判決は最高裁で破棄された。
 67年に美濃部知事が当選し、69年に土地収用を取り消した。77年に基地が日本に返還され、基地内の土地返還訴訟も勝利的和解となった。
 砂川闘争・伊達判決は、60年安保闘争や全国の基地闘争を励ました。
 しかし、立川(砂川)基地の軍事機能は横田基地に集中・吸収された。 
横田基地は政治的・軍事的対日支配の拠点
 横田基地は、政治的軍事的両面から見る必要がある。在日米軍司令部があり、対日支配の拠点だ。米大使館と直結しヘリで常に往復。大使、司令官、幕僚、参事官たちの会議を定期開催。太平洋、インド洋、中東を管轄するハワイの太平洋軍司令部と直結し、出先だ。自衛隊統合幕僚部とも直結している。
東日本大震災のときに、アメリカ太平洋軍司令官ウオルシュ海軍大将が、100人規模の幕僚・司令部とともに横田基地に乗り込み20日間いた。統幕はアメリカと統合司令部をつくった。
 輸送中継拠点で、米兵がフリーパスで入ってくる。オスプレイは、東富士、北富士での訓練で横田基地で給油のコースを取ることが多い。パラシュート降下訓練は13年から突如始まり、首都東京の真ん中でやっている。
 昨年7月の閣議決定後の8月に航空自衛隊・航空戦術教導団が、新編され横田基地におかれた。部隊の目的は、敵基地を攻撃するための部隊・要員の教育、訓練、研究を指導することだ。
 横田基地が日米共同作戦基地に変貌を遂げているのが大きな変化だ。 
沖縄のたたかいから学ぶ
 沖縄は昨年なぜ選挙で勝ち続けたか。戦後の沖縄の70年は、「沖縄を再び戦場にするな」を共通基盤に、米軍占領・植民地化と島ぐるみ闘争、祖国復帰闘争、非暴力が貫かれた。
 翁長知事は、あらゆる手段を尽くして公有水面埋め立て許可を取り消すと言っている。政府が、訴訟を起す可能性も高い。証拠資料を確保し理論武装し、あとは本土の力を引き出すことだ。あらゆる方法で支援を強め、本土の闘争と結びつけることだ。 
憲法を武器とするたたかい
 伊達判決を力に自衛隊違憲裁判は、百里、恵庭、長沼、イラク訴訟の裁判に引き継がれた。長沼裁判では、739月に自衛隊違憲判決が出て、2年半後に高裁が違憲判決を破棄したが、その間、自衛隊を「違憲状態」に追い込んだ。
 6070年代、裁判と国会論戦と結びついて、自民党政権を追い込んだ。長沼裁判で自衛隊違憲判決は必至という状況で出されたのが72年の「集団的自衛権行使は許されない」との政府見解だ。 
「閣議決定」具体化の戦争法案阻止
 戦争法案阻止のたたかいにあたり次のことが重要だ。①「閣議決定と戦争法案は憲法違反」を正面にすえてたたかう。②その正体は米国の戦争に自衛隊、国民、自治体を動員することだ。③「切れ目のない」とは、米軍と一体で切れ目がない、平時から世界有事・日本有事へ切れ目をなくし、国民を誘導することだ。④安倍政権の万能薬は「存立事態」と「武力行使の新3要件」で1政府が認めれば何でも出来る。⑤秘密裡の日米軍事指針改定交渉は最終段階で、法案と同時進行している。自民が強気で公明が妥協の背景となっている。 
戦後70年、侵略戦争に反省のない「戦争内閣」
 8月の総理談話に内外の注目が集まっている。この論争があることは、我々にとって有利だ。受諾したポツダム宣言の意義、植民地支配と侵略の動かし難い歴史などが議論の基本だ。
 安倍総裁は「16年参院選で3分の2めざす。地方選挙は前哨戦、議席増を図る」と発言。

 地方選挙は我々にとっても、地方自治体を戦争政策の道具にするなと訴える好機だ。

2015年3月8日日曜日

東京革新懇総会記念講演

アベノミクスの破綻、日本経済とくらし
         今宮 謙二中央大学名誉教授

124日の東京革新懇総会での今宮謙二中央大名誉教授の記念講演をご紹介します。

日本経済の現状
 「日本経済の現状」は予想以上の景気悪化であり、消費税不況だけとは言えないほど落ち込みは激しい。
アベノミクスは中小企業や中低所得者、地域経済に対しては恩恵を与えていない。第1点は国民生活の非常な低下。増税、社会保障費切捨て、物価上昇、実質賃金の減少減。
第2点は労働条件の。非正規労働者は2000万人を超え、4割、女性は57%だ。働く人々の生存権、労働権さへ奪われている。
第3点は日本の経済構造の弱体化。経済を支える最大のものは家計消費、そして中小企業、地域経済、商店街、農林水産業、経済の基盤を支えているものが衰退化している。
アベノミクス第一の矢-異常な量的金融緩和
アベノミクスで円安、株高になったといわれるが正確でない。1310月野田政権の頃、円安傾向が現れ始めていた。日本の株が異常に安いと投機マネーが目を付け始めた。
アベノミクスで加速化されたということだ。急スピードで株価上がり、円安になってきた。投機マネーの儲けの場だ。アベノミクスは彼らの思う壺で、アベノミクスは投機資本家の代弁だ。
量的金融緩和で、政府発行の国債を市中銀行が買う、市中銀行の国債を日銀が買い、お金がこの間をめぐっており、実体経済にいっていない。日銀の市中銀行当座預金に180兆円積み上がっている。金融政策が実体経済を動かすということはあり得ない。
2の矢―財政出動(公共事業のバラマキ)
公共投資をどんどんやり、大手ゼネコンの一部を潤しただけで、経済全体の景気効果はない。一方で財政破綻は膨らみ、政府債務残高で日本はGDP比200%で最悪だ。
アベノミクスの国際的背景
アベノミクスは、世界的な流れの中で出てきた。新自由主義政策というのは1980年代辺りから始まり、その失敗が2007年、2008年の危機。世界中でまだ解決策がない。財政をどんどん増やし、新自由主義政策を極端に進める形で今日現れてきている。
今日の世界的危機は、経済危機だけでなく政治、行政、生活様式、労働、教育などのの危機が現れ始めた。資本主義の限界が現れ始めてきた。
イギリスの歴史学者ファーマシーは、「朝日」(1/3)で「現在、ヨーロッパを支えていたいろんなものが崩壊している」と警告している。
資本主義の限界を推し進めてきた元凶は、投機資本主義の支配だ。
3の矢-成長戦略
第三の矢は、ほとんど役に立たないだろうというのが国際的な評価だ。
第三の矢の隠されたねらいは軍需産業だ。財界は、原発と武器を輸出する戦略を取っている。
日本の財界は大体3つのグループに合体しており、輸出依存型大企業、原子力利益共同体、これと軍需産業がオーバーラップしている。日本の軍事部品は、世界で最高のものがある。アメリカが、日本の軍需産業を支配下におく動きが今後出てくる。
ジム・ロジャーズという有名な投資家が「こんなことをやったら日本は駄目になる。そして恐らく、安倍首相は『日本を破滅させた男』として歴史的に名が残るだろう」と言っている。
結びに代えて
今、革新懇そのものが主役に押し上げられている。革新懇は、戦争する国を作らない、平和・民主主義を守る、国民生活を守る、本当に独立した国にすることを掲げている。こういう社会を作るのは,政党の枠を越えた市民活動、それが一番似合うのは「革新懇」ではないかと思っている。
新しい社会の4つのルールを掲げている。
第一は人間尊重のルール、第二は経済のゆがみを直すルール、第三は公正な市場ルール、第四はでは、
自民、公明、維新が好きだいう人の中にも、今の政治はおかしいと思う人が沢山いる。日米安保廃棄するのはどうかなと思う人も、辺野古に新基地を作るのはおかしいと思えばその点で一緒にやれる。このような共同を大きく広げることが求められている。(文責編集部)