2013年12月18日水曜日

安倍政権の「成長戦略」を斬る

「アベノミクス」の虚像と実像
 
 1116日開催した東京革新懇の友寄英隆氏(前「経済」編集長)講演のエッセンスをご紹介します。

アベノミクス」
         の特徴
 「アベノミクス」は、大胆な金融緩和、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略の3本の矢とされているが、消費税増税という「第4の矢」、社会保障制度改悪という「第5の矢」を隠して議席をかすめ取った。
 日本資本主義が十数年の間に陥っている「デフレ」的な現象は「3本の矢」では解決できない。「アベノミクス」の強行は、グローバル化を推進する財界・大企業の利益を増大させ、短期的には日本経済で一時的な「回復感」をつくり出しているが、長期的には、国民の暮らしや雇用を破壊して、日本経済の破たんにいっそう拍車をかけることになる。
成長戦略」の実態
 「成長戦略」のために設置されたのが「産業競争力会議」で、竹中平蔵慶大教授や「グローバル展開」をめざす8人の経営者が入っている。議事録を読むと、日本企業の海外展開、グローバル企業の「国際競争力」のための戦略検討に終始している。「国家戦略特区」として「解雇特区」をねらい、批判の集中でやや手を緩めたように見えるが絶対に油断できない。竹中議員は「国家戦略特区は成長戦略の最重要政策。岩盤規制を打破しなければ。雇用分野含め、国家戦略特区を完成させるべく全力尽くす」と発言している。
国民の立場からの成長戦略には何が必要か
 日本経済は行き詰まり、「本格的な改革」が必要な時代に入っている。民主的な変革の政策と戦略が求められ、「原発ゼロ」へのエネルギー政策、民主的な労働改革、農業再建、税・財政の民主的改革、日米安保優先の通商政策からの転換などである。とりわけ経済再建の最大の鍵は思い切った賃上げと中小企業政策である。
 1997年から2012年の間に、賃金は70兆円減少、資本金10億円以上の大企業の内部留保は100兆円増の270兆円。労働総研は、全国一律1000円の最賃の原資は62千億円と試算している。
 中小企業予算は、わずか3000億円、予算全体の0.4%。「異次元の中小企業対策」で少なくとも1兆円(2%)、計画的に5兆円ぐらいに増やす必要がある。
アベノミクス」の国際的背景
 1%の富裕者が、その国の所得のどれだけを独り占めしているか、米国、イギリス等では1980年後半から急激に富裕者の所得が増えてきた(グラフ参照)。1970年代に入る頃から新自由主義型の経営戦略と経済政策が推進されてきたからだ。新自由主義路線は、経済構造を歪め、ついに08/09年の世界的な金融危機が勃発した。
 新自由主義路線の歪んだ経済構造を改革しないまま、なし崩し的に財政・金融を急膨張させたため、深刻な財政危機と投機マネーの再膨張をもたらした。2010年以降、財政危機が、南欧諸国からEUに広がり、大銀行・大企業を守るために膨大な資金を投入しながら、国民犠牲の緊縮政策を強行してきた。
 今日の国家債務危機の根源は、新自由主義路線によって、各国が「法人税率引き下げ競争」に巻き込まれ、巨額の税収の空洞化を生みだし、赤字国債を増発したからだ。それが行き詰まり、世界的に超金融緩和政策によって危機を下支えしよとの流れが強まり、「アベノミクス」はそれを日本に持ち込んだものだ。
世界的な経済危機は、新たな「過渡的な時代」の始まり   いま世界は、新自由主義の支配した時代を乗り越えるための、新たな「過渡的な時代」に入りつつある。08年の金融危機・世界恐慌を契機に、労働者・国民のたたかいが高揚の時代に入っている。世界各国で若者や労働者・市民の運動が盛り上がり、歴史の本流と逆流の“激しいせめぎあい”の時代が始まっている。21世紀の世界史を貫く「変革の流れ」は、日本でもはじまりつつある。
 2013年から2014年にかけて、「世界と日本の歴史の本流」をみすえた労働者・国民の運動の発展が期待される。まさに革新懇運動の出番の時代である。

2013年11月9日土曜日

最近思うこと

「ナチスの模倣」について
      東京革新懇代表世話人 
       鶴見祐策(弁護士)

安倍総理が執念を燃やす自民党の「憲法草案」には、「天皇元首」「国防軍」「国旗・国歌」を掲げている。「集団的自衛権」を名目に派兵して外国での戦争を目指している。彼は「国を取り戻す」と公言する。おりしも麻生副総理が憲法改正の手法に触れてヒトラーのナチスを真似したらと発言して国の内外の顰蹙を買った。あれは本心と思う。彼らの「国」とは、敗戦までの軍国主義「日本」なのだ。
29年の大恐慌後の混乱に乗じた極右政党ナチスは、財界の支持を受けながら、「突撃隊」の暴力による「人種差別」を手始めに労働運動や民主勢力を弾圧しながら勢力を伸ばした。33年ナチスは国会議事堂に火を放ち全焼させた。それを共産党の仕業とデマ宣伝しこの年の選挙で多数を占めて第1党となると、「全権委任法」を通して独裁体制を確立しワイマール憲法を葬った。
恐怖政治を進めたヒトラーは35年にベルサイユ条約による常備軍の制約を破棄して国民皆兵(男子兵役の義務)の軍隊を発足させ、ヴェアマハト(Wehrmacht)と命名した。この邦訳が「国防軍」である。また青少年に軍国主義教育を徹底するためフォルクスシューレ(Volksschule)を始めた。この邦訳が「国民学校」である。東条内閣が41年に模倣した(私は1期生)それだ。「日の丸・君が代」強制の原点である。
「集団的自衛権」は40年の独・伊・日の「三国同盟」を連想させる。同じ轍を辿る。それが破滅の道だった。

おまけに安倍総理は、世界を欺く発言で7年後のオリンピックを日本に持ってきた。36年にヒトラーが「民族の祭典」と称してナチスドイツの一体化を国の内外に誇示する巨大なイベントに作り替えた。「ハイルヒトラー」が競技場に木霊したと言う。ナチスの手法に親近感を抱く彼らにあの再現が夢想されていないか。歴史の教訓に背く国家主義の「憲法」をこの国に許してはならないと思う。

2013年7月25日木曜日

憲法制定当時、国民は心から大歓迎!
緊急自費出版 
『心踊る平和憲法誕生の時代』について 
     岩田 行雄(いわた・ゆきお)

押し付け憲法論反撃のために
「国会議事堂の放火したのは共産党だ!」。1933年2月、ナチスが政権を獲得した直後の放火事件。ナチスはこの事件を口実に、共産党を徹底的に弾圧し、さらに憲法の基本的人権に関する一連の条項を停止する緊急条例を発布。第二次大戦後、放火はゲーリングらナチス犯行説が有力となったが、真相は不明。放火事件を利用したナチスの手口と、改憲派のデタラメ言いたい放題及び言論抑圧の手口は酷似している。
改憲派は「占領下の日本政府にGHQが草案を押し付けた」と繰り返し、事実関係については嘘も含めて言いたい放題で世論を誘導している。日本が占領下にあったこと、GHQが草案を提示したことは事実であるが、当時の世論や国民の姿には一切ふれない。一方、平和憲法を護ろうとする側も、様々な憲法書を読んでも、当時の「憲法民主化」の世論や国民が平和憲法を歓迎した姿に確信を持って運動を進める材料が乏しかった。
4月に緊急出版した『心踊る・・・』は、正確な歴史的事実を以って「押し付け憲法」論に対して痛烈な反撃を行い、護憲運動にとっては大きな確信につながる憲法書である。 
積極的に平和憲法制定を報道、当時の新聞各紙
本書ではとくに、戦後発行されていた新聞65紙を徹底的に調査し、そのうちの61紙を引用している。対象とした期間は、昭和20年8月から昭和22年6月まで。この研究のため、国立国会図書館以外に、宮城、茨城、群馬、千葉、埼玉、山梨、静岡、富山、福井、徳島、香川、鳥取の各県立図書館および広島市立図書館を訪問したが、当時の新聞各紙が平和憲法誕生の誕生に果した役割が非常に大きいことが判った。
本の題名は、昭和21年に徳島市役所前で行われた阿波踊りの行事に因んでいる。
「十一月三日は新憲法公布の日だ、新日本の黎明だ、平和だ、友好だ、豊年じゃ、満作じゃ、みんなで祝う、阿波踊りが許された、踊りおどるなら華やかに踊ろう」
この喜び溢れる言葉は、昭和21年11月1日付の『徳島民報』一面に掲載された《新憲法祝賀おどり》の広告の文章である。日時は、十一月三日朝九時から夜十一時まで。 
自主的、主体的な世論で憲法民主化

『心踊る・・・』の最大の特徴は、昭和20年末(!)までに「憲法民主化」の世論が、自主的、主体的に形成されていたことを実証していることである。本書第一部59頁の表1「平和と憲法の民主化を求める世論」は、日付、新聞名、社説、記事、見出しの一覧表で、必見である。因みに、12月29日付『讀賣報知』の社説は「憲法改革を人民の手に」である。
国民は平和憲法を大歓迎!!
本書の第二の特徴は、当時の国民が平和憲法を心から歓迎していた姿の具体的な紹介である。「第四部・新憲法公布の記念行事」は、北海道から鹿児島まで全国各地での祝賀行事を収録した。「第五部・新憲法祝賀広告」は、「大企業からキャバレーまで、そして露天商の組合も!」と題して、祝賀広告を依頼した広告主を紹介。第六部は、政府と議会が共同して行った「憲法普及会」の幅広い活動を紹介している。
本書と共に、私のブログ『岩田行雄の憲法便り』も参照していただきたい。

※本書の購入申し込みは、美和書店
   ℡3402-4146へ。1冊1050円。

法改正をめざす運動に求められるもの 
          前日弁連会長 宇都宮健児さん
 
グレーゾーン金利の廃止など、法律を変えた取り組みについて、構え、視点、留意点などについて、627日にインタビューしました。

 私はあるきっかけからサラ金問題にかかわるようになった。当時のサラ金の金利は年100%前後。無法状態を無くすには立法が必要と、「全国クレジット・サラ金問題協議会」を結成。被害者組織も最盛期には47都道府県に88団体できた。最初に1983年に「サラ金規制法」が成立、その後幾度か法改正したが、出資法の上限金利と利息制限法の制限金利との間のグレーゾーン金利が残った。 
逆に金利引き上げの危険も
 サラ金業界は、大もうけし06年には大手のサラ金の大半が一部上場、テレビでは1日中サラ金のCM流れる状況。05年に小泉郵政選挙で自民圧勝。サラ金業界は、金利規制撤廃を主張、小泉・竹中の規制緩和路線にも合致。貸金業政治連盟は自民や民主の有力議員にカネを配っていた。アメリカ資本がサラ金を買収、株を買っており、ブッシュ政権は、金利を下げるなと日本政府に圧力。金利が逆に引き上げられる危険があった。
 運動のウイングを広げなければと、連合も加わる中央労福協に「クレサラの金利問題を考える連絡会議」を結成、日弁連にも「上限金利引き下げ実現本部」がつくられた。本部長は日弁連会長、私が本部長代行となった。こうして、全国の弁護士会を動かせるようになった。
 高金利引き下げ署名を短期間に340万集め、金利引き下げを求める意見書は、43都道府県議会1136市町村議会で採決され、その地域を選挙区とする国会議員に大きな影響を与えた。
 世論対策では、朝日、毎日、東京は比較的消費者サイドだったが、読売、サンケイ、日経は業者より。読売に、グレーゾーン金利撤廃(以下撤廃と略)の記事を書かせることを重視、最終的に読売も撤廃すべきとの社説を打つようになる。
 テレビのワイドショーが国会議員に影響力があるので、ワイドショー対策をやって、みのもんたの「朝ズバッ!」などで取り上げてもらった。
 衆議院480人、参議院242人の中で多数派を形成できれば法律は出来る。国会議員対策は日弁連が中心なり、各弁護士会から地元の国会議員に要請と報告してもらい、「金利引き下げ賛成」◎、「どちらかといえば賛成」○、不明△、「どちらかといえば金利引き下げに反対」×、「強固な反対派」××と整理、報告のない弁護士会は督促した。
 各地で集会開催をお願いし、必ず地元メディアと国会議員への呼びかけを徹底した。
 自民党政務調査会に貸金業制度小委員会がつくられることとなった。政調会は自民党の国会議員であれば誰でも参加できる。私は日弁連代表として毎回小委員会に出席。各弁護士会から◎の議員に出席するよう要請してもらった。◎の若手議員が堂々と発言し古株の議員に対抗する。発言した議員に弁護士会からの激励を要請した。11回の議論を重視、サラ金業界寄りの議員を孤立させ、金利引き下げ派が自民党でも多数派になり、法改正が実現した。 
国会での多数派形成をめざすには
 国会で多数になるには、常に現場から発想し政治的立場を超えてつながることが重要。
国会開会中は、地方での集会等は土日にやらないと地元の議員は出られない。一般市民に影響与えるだけではダメ。
日弁連が院内集会を開催する場合、共産・社民の議員には頼みやすいので議員会館の部屋を取ってもらうと与党議員はこない。どういう伝手でもいいから自民、公明の議員に頼みなさいと言っている。
 議員要請の資料に「赤旗」記事を持っていくと偏見の目で見られる。内容が同じなら朝日、読売などにすべきだ。政党間のこまやかな、現実的な政治力学を理解すべきだ。
運動は楽しくやらないと長続きしない。秩父困民党の蜂起は、高利貸しの借金が払えず田畑を取られたことがきっかけ。この困民党の闘いを映画化した「草の乱」の上映運動を行う一方で決起集会に、困民党が蜂起した椋神社から当時の衣装でマラソンリレーをやり、このリレーには若手の自民党議員も参加した。
 要求が通らなくとも頑張り続けている運動はすごいと思うが、負け続ける運動は意気が上がらない。少しずつでも成果を獲得していくことが運動を継続する上でも重要。
10万人集会やっても、メディアが報道しなければあまり影響力ない。金利問題で500人の集会・デモだったが東京新聞が大きく報道、テレビも伝えた。少数でも大きな影響を与えることを考えるべきだ。 
政党の決めつけ
 運動をやっていて感じるのは政党に対する決めつけ。自民党は財界の味方と見られがちだが、一枚岩的な政党ではなく、一人一党、後援会政党の集まりだ。民主も同じようなもの。多様性がある。現在の政界では公明党がキー政党になっており、対策が重要だ。都道府県議会、市町村議会で金利引き下げの意見書を採択してもらう際は、まずどの政党に誰があたるか要請の仕方を工夫した。

2013年6月6日木曜日

改憲を阻止するための私たちの課題
       金子勝立正大教授  (5月20日 東京革新懇講演)
参院選は憲法に関して
「巌流島」の決闘的選挙
 昨年12月の衆院選は、日本国憲法の生死の分岐点となった選挙であった。衆議院で、改憲派である自民(294)、公明(31)、維新(54)、みんな(18)が、改憲を発議できる3分の2となる320を大きく上回る397議席を獲得した。
 7月の参院選は、日本国憲法の生死を決める「巌流島」の決闘的選挙、負けた方は大打撃を受ける。改憲派が3分の2以上の議席を占めたら、両院での発議が可能となる。
 過去、自民党の改憲策動が挫折したのは、参議院で3分の2以上を獲得できなかったからである。自民党にとって参議院は「鬼門」である。
安倍政権の改憲「進路」
 昨年11月発表の自民党の「政権公約」では、次のことを打ち出している。①日米同盟の強化のもと、国益を守る、主張する外交を展開する。②集団的自衛権の行使を可能とする。③憲法改正で自衛隊を国防軍と位置づける。④憲法改正原案の国会提出をめざす。
自民党の改憲攻撃の順序
 自民党の改憲手順としては次のようなことが想定される。
第一弾―集団的自衛権の行使の実現(解釈改憲の実行)
第二弾―憲法第九六条の改定
第三弾―国会・内閣・裁判所などの統治機構の改憲
第四弾―天皇や基本的人権などの改憲
最終弾―「第九条」の改憲
 国民の反対が最も強い「第九条」は改憲の最後となる。
自民党「日本国憲法改正草案」の内容
 自民党「日本国憲法改正草案」は、「『安保』憲法」草案とも呼ぶべき内容を持っている。
①天皇を「元首」であり、日本国の「象徴」とする。
②国旗と国歌を憲法に明記し、国民に尊重を義務づける。
③「元号」の制定を憲法に明記する(皇国史観を正当化)。
④「戦争の放棄」をして、米軍統制の国防軍を保持する。
⑤「緊急事態」の導入。基本的人権と民主主義(選挙)、地方自治が制限・剥奪される。
⑥基本的人権の徹底した統制。
⑦「戦宣」規定と「講和」規定がない(アメリカに従う)。
憲法改悪を阻止するために
 憲法改悪を阻止するためには、①個人・団体・政党が星の数ほどの学習会を開催していく、②星の数ほどの“憲法の語り部”をつくる、③戦争国家に対抗する「平和的福祉国家」の建設をめざす、④「改憲阻止国民会議」をつくる、これらのことが求められる。
「平和的福祉国家」を創ろう
 「平和的福祉国家」を創る理由は、以下のような情勢認識に立つからである。
21世紀は、世界と日本のすべての人及び動植物が、「平和」のもとで「幸福」になる権利があるという時代である。
21世紀は戦争を仕掛けた国が敗北する時代となった。
21世紀は、国際紛争を「話し合い」で解決しなければならない時代となった。
21世紀は、軍隊が民衆を弾圧できなくなる時代となった。
21世紀は、軍隊不要の時代となった。
21世紀は、「第九条」が人類の「導きの星」となる時代となった。
「改憲阻止国民会議」
 「改憲阻止国民会議」は、a国会・自治体議会において、政党、会派、無所属の議員が組織する議会内の「統一戦線」と、b個人、団体、政党が、職場(学園)・業界・地域・全国で組織する議会外の「統一戦線」との団結によって構成すべきと考えている。
 「統一戦線」の『原則』としては、6点が考えられる。
①個人・団体・政党の「参加資格の平等」
②自己の内にある「独善主義の克服」
③自他者に対する「反共主義の克服」
④相手に対する「寛容主義の堅持」
⑤「非暴力・平和主義の貫徹」
⑥「謀略資金・外国資金の不導入」
この「原則」を踏まえて「指導部」を選出する。
「改憲阻止国民会議」のスローガンは、①日本国憲法の「全面的開花」、②「平和的福祉国家」の樹立が考えられる。
政党や労働組合などの団体が、私たちが初めからリーダーとの20世紀的立場を捨てられるかが問われる。
 改憲阻止にむけて頑張りましょう。

2013年4月30日火曜日

  憲法9条改憲を容易にさせる
  憲法96条改憲暴走をとめよう
             自由法法曹団東京支部長 宮川泰彦
 憲法96条改憲の動き
 自民党は、憲法9条改憲をはじめとする憲法改正草案を発表しました。そのうえで、憲法改正発議のハードルを下げるべく、今国会期中に96条改定案(憲法改正の国会発議要件を、各議院の総議員の3分の2以上の賛成から各議院の総議員の過半数に改定)を発表し、参議院選挙の公約に掲げることを決定しました。維新の会・みんなの党は昨年の衆議院選挙で96条改定を公約に掲げ自民党と共同歩調をとっています。
9条改憲に向けられた96条改憲
 96条改憲が9条改憲に向けられていることは明白です。安倍首相は就任以来「改憲はまず96条から」と表明し、自民党石破幹事長は「憲法96条改定が9条改定に直結していることを念頭において投票をしていただきたい」と公+言しています。
改憲発議のハードル引き下げは邪道
 改憲賛成の学者も国会発議のハードルの引き下げは立憲主義、憲法の最高法規に反するものとして反対を表明しています。改憲手続は、その内容を決定し発議するのは国会だけで、国民はそれに賛成か反対の投票で決する、だから発議の要件は法律より厳しい要件となっています。それなのに、憲法9条の改憲発議は容易ではないからハードルを下げようというのは卑怯・姑息なやり方と言わざるを得ません。また、外国での改憲状況にあたってみても、改憲手続きに手をつけた国は見あたりません。
急ぎ反対の声を
 7月の参議院選挙において、自民・維新を中心とする改憲勢力が参議院でも3分の2を占めるようになると96条改憲、そして9条改憲が現実的なものになってしまうでしょう。96条改憲の危険性を直ちに訴えましょう。

2013年3月1日金曜日

 アベノミクスとアベノリスク
   -安倍政権で日本経済・国民生活はどうなる-
           今宮謙二さん(中央大学名誉教授)
 アベノミクスの3本の矢と言われるものは、財政出動、金融緩和、成長戦略であるが、これは折れた矢どころか壊れた矢である。
 財政出動の大型公共事業は、1995年からの10年間で630兆円の公共事業計画による無駄遣いと赤字国債の強大化を招き、その後の財政再建による社会保障の切り捨てで民主党政権誕生につながった路線である。
 金融緩和も2001年から量的緩和が行われたが、未だ不況から脱し得ていない。
 成長戦略も大企業中心で、金融危機と格差の拡大をもたらしたものであり、3つともすべて失敗したものである。
 アベノリスクの効果として株価上昇と円安が言われている。株の上昇は、海外投機マネーの流入による一時的なものであり、世界的金融緩和によるアメリカなどの株価上昇も左右している。
 円安は、投機マネーの動きとともに、貿易収支と経常収支の赤字化、日米金利差など、日本経済の中に円安の方向に行かざるを得ない条件の反映だ。
 アベノミクスの本質は、財界の主張する日本経済の六重苦(超円高、高法人税、電力不足、雇用規制、環境規制、TTP参加の遅れ)の克服との主張を鵜呑みにするものであり、新自由主義の徹底化であり、消費税増税の実施に向けた条件づくりである。
 アベノミクスはアベノリスクであり、財政危機の拡大、不況の激化と物価上昇、貧富の格差の拡大をもたらすものである。
 日本経済の七重苦(①低賃金と労働条件悪化、②高失業、③貧富の拡大、④大企業の社会的責任の欠如、⑤産業空洞化、⑥農水産業と中小企業の衰退化、⑦原発による国民の命・健康、生活と環境の破壊)の克服のために、日本経済構造の見直しとルールある社会づくりが求められる。

2013年2月3日日曜日

         東京革新懇 第21回総会 記念講演

               「歴史から見る尖閣諸島・
        竹島問題と日本の右傾化」
     ー領土問題が改憲の手段にー
                            明治大学教授 山田朗
講演の冒頭、領土・権益問題は、ナショナリズムを最も煽る。改憲勢力は、対外的緊張を高めて改憲・「国防軍」創設・軍備拡張に利用しようとしている。1920年代から1930年代-関東大震災から8年で満州事変が起こり戦争の時代へ、現代-大不況、中国情勢(領土・権益問題)、大災害による社会不安・不満の鬱積との酷似を指摘しました。 
尖閣諸島=釣魚島問題
 尖閣諸島は古くから中国の文献に記載あったが定住者の記録はない。1879年、沖縄県設置。朝貢関係にあった清国が琉球を日本領と承認したのは1895年下関条。1885年に古賀辰四朗が尖閣諸島の貸与を日本政府に申請、この段階では清国への刺激を配慮して棚上げ。日清戦争最中の18951 14日に「久米赤嶋久場嶋及魚釣嶋」の領有を閣議決定。国際法上の「無主の地」に対する「先占」として、以後、日本が実効支配。
 1969年、国連アジア極東経済委員会の報告書が尖閣諸島周辺の海底に石油・天然ガスが大量に存在する可能性を指摘して以降、台湾、中国が領有権を主張。 
竹島=独島問題
 竹島、松島と呼ばれアワビ漁に使われていた。定住者の記録はない。江戸時代・明治初期は、隠岐島以北は「外国」という認識。
19011025日、大韓帝国が勅令で「欝陵全島と竹島、石島」を鬱陵郡に編入。この「竹島」が独島なのかどうかは異説あり
1904 、中井養三郎(隠岐島・アシカ漁)が領土編入と10年間の貸与を政府に申請。1905 128日、日本政府、「竹島」と名づけて領有を閣議決定。日露戦争の最中(日本が韓国への支配権強化の時期)であり、同年11月に第2次日韓条約(韓国の保護国化)が結ばれ、1910年には韓国併合が行われている。 
歴史から見た領土問題の本質
発端として近代日本の膨張主義・戦争があり、「尖閣」(1895.1)「竹島」(1905.1)の領土編入の時期が重要。戦争と植民地支配強化の時期であった。
事態を曖昧にしたのが第二次世界大戦の戦後処理。ポツダム宣言は、カイロ宣言(第一次世界大戦以降に日本が奪った領土の剥奪、満州・台湾の中国への返還、朝鮮の独立を日本に要求)を組み込んでいる。朝鮮戦争只中、冷戦下の片面講和としてのサンフランシスコ講和条約(1951年)は、当事者のソ連・中国(旧連合国)と韓国・北朝鮮が参加しない場で領土画定、ソ連が作った既成事実を容認、領土問題の微妙な部分は棚上げ方式がとられた。 
本報告の結論
①「領土問題」紛糾の元凶は、当事者抜きに決められた講和条約にある。
②近代日本の膨張政策・戦争の反省の上にたった対話の土俵の必要。→未着手・未完の「戦争の後始末」を進める。
③「領土画定」ということだけを結論にしない柔軟な発想が必要。→領土問題は、改憲・「国防軍」創設・集団的自衛権・軍備拡張を図るための手段と化している。
④現在=「戦後」を「戦前」にしないために。→人々の政治不信・無力感が改憲勢力によって束ねられる危険性。→ 権威主義・強権主義の台頭を抑える運動を。

※山田講演レジメ(クリック)