戦争する国づくり阻止のために
横田基地・沖縄・戦争法案
内藤 功 弁護士
砂川闘争と砂川裁判
砂川闘争と砂川裁判の意義をとらえ直す必要がある。米軍基地拡張に対して、砂川町民ぐるみの反対運動がわき上がり、57年、米軍基地に入ったとして刑事特別法違反で7人起訴。59年3月30日、東京地裁(伊達裁判長)は、「侵略戦争はもとより自衛の戦争、戦力も禁止している。米軍駐留は、憲法9条2項が禁止する戦力保持にあたる故に憲法違反」との判決を下した。判決は最高裁で破棄された。
67年に美濃部知事が当選し、69年に土地収用を取り消した。77年に基地が日本に返還され、基地内の土地返還訴訟も勝利的和解となった。
砂川闘争・伊達判決は、60年安保闘争や全国の基地闘争を励ました。
しかし、立川(砂川)基地の軍事機能は横田基地に集中・吸収された。
横田基地は政治的・軍事的対日支配の拠点
横田基地は、政治的軍事的両面から見る必要がある。在日米軍司令部があり、対日支配の拠点だ。米大使館と直結しヘリで常に往復。大使、司令官、幕僚、参事官たちの会議を定期開催。太平洋、インド洋、中東を管轄するハワイの太平洋軍司令部と直結し、出先だ。自衛隊統合幕僚部とも直結している。
東日本大震災のときに、アメリカ太平洋軍司令官ウオルシュ海軍大将が、100人規模の幕僚・司令部とともに横田基地に乗り込み20日間いた。統幕はアメリカと統合司令部をつくった。
輸送中継拠点で、米兵がフリーパスで入ってくる。オスプレイは、東富士、北富士での訓練で横田基地で給油のコースを取ることが多い。パラシュート降下訓練は13年から突如始まり、首都東京の真ん中でやっている。
昨年7月の閣議決定後の8月に航空自衛隊・航空戦術教導団が、新編され横田基地におかれた。部隊の目的は、敵基地を攻撃するための部隊・要員の教育、訓練、研究を指導することだ。
横田基地が日米共同作戦基地に変貌を遂げているのが大きな変化だ。
沖縄のたたかいから学ぶ
沖縄は昨年なぜ選挙で勝ち続けたか。戦後の沖縄の70年は、「沖縄を再び戦場にするな」を共通基盤に、米軍占領・植民地化と島ぐるみ闘争、祖国復帰闘争、非暴力が貫かれた。
翁長知事は、あらゆる手段を尽くして公有水面埋め立て許可を取り消すと言っている。政府が、訴訟を起す可能性も高い。証拠資料を確保し理論武装し、あとは本土の力を引き出すことだ。あらゆる方法で支援を強め、本土の闘争と結びつけることだ。
憲法を武器とするたたかい
伊達判決を力に自衛隊違憲裁判は、百里、恵庭、長沼、イラク訴訟の裁判に引き継がれた。長沼裁判では、73年9月に自衛隊違憲判決が出て、2年半後に高裁が違憲判決を破棄したが、その間、自衛隊を「違憲状態」に追い込んだ。
60~70年代、裁判と国会論戦と結びついて、自民党政権を追い込んだ。長沼裁判で自衛隊違憲判決は必至という状況で出されたのが72年の「集団的自衛権行使は許されない」との政府見解だ。
「閣議決定」具体化の戦争法案阻止
戦争法案阻止のたたかいにあたり次のことが重要だ。①「閣議決定と戦争法案は憲法違反」を正面にすえてたたかう。②その正体は米国の戦争に自衛隊、国民、自治体を動員することだ。③「切れ目のない」とは、米軍と一体で切れ目がない、平時から世界有事・日本有事へ切れ目をなくし、国民を誘導することだ。④安倍政権の万能薬は「存立事態」と「武力行使の新3要件」で1政府が認めれば何でも出来る。⑤秘密裡の日米軍事指針改定交渉は最終段階で、法案と同時進行している。自民が強気で公明が妥協の背景となっている。
戦後70年、侵略戦争に反省のない「戦争内閣」
8月の総理談話に内外の注目が集まっている。この論争があることは、我々にとって有利だ。受諾したポツダム宣言の意義、植民地支配と侵略の動かし難い歴史などが議論の基本だ。
安倍総裁は「16年参院選で3分の2めざす。地方選挙は前哨戦、議席増を図る」と発言。
地方選挙は我々にとっても、地方自治体を戦争政策の道具にするなと訴える好機だ。
0 件のコメント:
コメントを投稿