2015年7月31日金曜日

今こそ問われる日本政府の〈歴史認識〉:「戦後70年談話」をめぐって
  山田 朗 明治大学・日本現代史、東京革新懇代表世話人

 希薄化する戦争の〈記憶〉
 〈歴史認識〉という言葉が、ニュースに登場するようになってすでに久しい。そしてそれは、近隣諸国との外交問題という場面で問題にされることが多い。日本政府の、あるいは日本人の〈歴史認識〉が、最初に外交問題になったのは、1982年の教科書問題(教科書検定で「侵略」を「進出」と書き換えさせたと報道された問題)であった。それ以来、「南京大虐殺」「慰安婦」「強制連行」「植民地支配」「靖国公式参拝」などをめぐって、日本側の〈歴史認識〉がしばしば問われてきた。それは、過去の〈加害〉行為を忘却しつつある日本側と、自らの〈被害〉を日本に忘れさせまいとする近隣諸国側との衝突でもあったと言える。
 戦後70年が経過し、日本人の中の戦争の〈記憶〉は希薄化したことは否めない。もはや、1945年の敗戦以前のことを自らの体験として語れる人は、総人口の1割を切ったと考えられる。それでも、戦争を体験していない多くの日本人の中にも、「原爆」「東京大空襲」などの自らの〈被害〉の〈記憶〉は、多くの人びとの努力によって継承されている。だが、戦後50年前後に出された「河野談話」(1993年)「村山談話」(1995年)で述べられた「従軍慰安婦」や「植民地支配と侵略」に代表される日本人の〈加害〉の〈記憶〉の継承は進んでいないように思われる。なぜ、〈加害〉の〈記憶〉は継承されがたいのか。それを考えることは、アジア諸国との間の〈歴史認識〉のギャップをどう埋めるか、という問題を考える上でも重要なことである。 
戦争の〈記憶〉の継承のされ方
 〈加害〉の〈記憶〉の継承が進まないのはなぜか。戦争の〈記憶〉の継承は、大別して私的継承と公的継承(公的な〈記憶〉の構成)とに分けられる。私的継承とは個人や家族で「ファミリーヒストリー」として継承されるものであり、公的継承とは教科書記述に代表されるものである。私的継承として個人・家族において継承される私的な〈記憶〉は個別具体的で特殊なものを多く含んでいるが、それが地域や社会の中で集約され、同時代人の共通体験として意識されるようになったものが公的な〈記憶〉=〈集団的記憶〉と表現されるものである。この公的な〈記憶〉はその時代を生きた人々の私的な〈記憶〉群の最大公約数のようなもので、この公的な〈記憶〉を土台にして構成・叙述されたもの(教科書など)を使って学校などで社会的に〈記憶〉を継承するのが公的継承である。
 個人の記憶から始まった〈記憶〉の継承は公的な継承の段階をへて、〈歴史〉としての継承へとつながっていく。ただし、公的な〈記憶〉=〈集団的記憶〉がそのまま〈歴史〉になるわけではなく、そこには一般には忘却されていたが、新たに「発見」「発掘」された〈記憶〉が組み込まれる形で〈歴史〉化が進展するのである。ここで重要なのは、〈記憶〉の私的継承が断絶してしまうと(特定の事柄が個人・家族のなかで継承されないと)、公的な〈記憶〉も形成されにくくなり、あるいはきわめて希薄化した公的な〈記憶〉しか形成されず、公的継承に結びつきにくくなるということであり、社会全体の〈記憶〉の希薄化を押し進めてしまうということである。
 「従軍慰安婦」や「植民地支配と侵略」に代表される日本人の〈加害〉の〈記憶〉は、親から子へと語り継がれにくいものであり、放置しておくとそれらの〈記憶〉は薄れ、消滅してしまう。だが、多くの日本人が〈被害〉の〈記憶〉を継承しているように、近隣諸国の人びとの〈被害〉すなわち日本人による〈加害〉の〈記憶〉は、決して忘却されておらず、むしろ公的な〈記憶〉として強力に継承されている。日本側の〈記憶〉の希薄化と近隣諸国側の〈記憶〉の継承、その大きなギャップこそが、〈歴史認識〉問題の本質である。 
「河野談話」「村山談話」継承の重要性
 すでに出来てしまった大きな〈記憶〉のギャップを埋めるためにはどうしたらよいのか。それには、まず、「歴史的には何があったのか」ということを直視し、日本における公的な〈記憶〉を、〈加害〉の記憶をきちんと組み込む形で再構成・継承することが必要である。そして、〈加害〉の記憶を組み込む形で日本人の公的な〈記憶〉を組み直すために必要なのは、第1に「河野談話」「村山談話」の継承であり、第2に教科書などによる〈記憶〉の継承である。第1の問題は、首相をはじめとする日本を代表する立場の政治家が、〈被害〉を受けた近隣諸国と日本人の心情に配慮した、〈加害〉の問題を直視し、反省を表明する公式な声明を出すことで、そうした問題を日本人が決して忘却せずに、将来の糧として生かしていこうとしていることを示すことが大切だと思う。「未来志向」という言葉は美しいが、ややもすると「過去のことは棚上げにして」というニュアンスで使われやすい。未来は現在からスタートし、現在は過去の土台に上に成り立っているとすれば、過去(歴史)から目をそらそうとすることは、現在を誤り、未来を失うことにもつながりかねない。ドイツは、ヴァイツゼッカー元大統領の演説に見られるように、過去の反省を現在の信頼へとつないできた。政治家にとって、〈歴史認識〉はその人物の価値観・倫理観の土台をなすものであるので、貧弱な〈歴史認識〉を示されたのでは、その人物を「代表」としている国民が恥ずかしい思いをすることになる。 
教科書記述の重要性
 近隣諸国との間の〈記憶〉のギャップを埋め、〈加害〉を含めた〈記憶〉の再構成・継承をおこなうには、〈記憶〉の公的な継承の手段である教科書の記述や博物館の展示などが重要だ。〈加害〉の側面にふれるとすぐに「自虐的だ」とか「反日的だ」などと批判する人びとがいるが、「自虐」と反省とは根本的に異なることだ。「自虐」は何者も生み出さないが、反省は確実に未来を構築する糧となる。また、反省がなければ、再び失敗を繰り返すリスクは高まる。もっとも、「反省」が必要だと言っても、〈加害〉を含めた〈記憶〉の継承がなされていなければ、いったい何を反省したらよいのかが分からないであろう。
 1982年の教科書問題以来、〈歴史認識〉問題は、常に近隣諸国からのナショナリズムを背景にした「抗議」という形で姿を現すために、〈加害〉をとりあげることは、日本国内でもややもすると偏狭なナショナリズムを背景にした歴史修正主義にもとづく反発が強まっている。〈歴史認識〉問題は、ナショナリズムから完全に切り離すことは難しいが、さりとてナショナリズムを過度にもちこむと、冷静な議論ができなくなるので忍耐と自制が必要だ。 
〈記憶〉を継承して未来を構築するために
 私たちは、戦後70年たっても戦争の処理(領土問題や戦争被害者への補償など)は終わっていないことを認識する必要がある。この戦争処理が終了していないことがアジア諸国との関係を不正常なものにしつづけている。私たちに今、必要なことは、近隣諸国との間に〈歴史認識〉の議論のための「共通の土台」を作るということである。それには、戦争・植民地支配の実相を次世代に継承することが大切であり、忘却こそが一種の「罪悪」であると考えるべきであると思う。「過去に何があったのか」ということをたがいに直視することを土台にしながら、相互の歴史に対する理解・交流を深めることが重要であり、信頼関係構築の基礎である。戦後世代にとっても戦争は関係のないことではない。先人が清算していない〈負の遺産〉があるのならば、私たちがその清算に参加する必要があるし、〈記憶〉の掘り起こしと継承というその作業は、かならずや私たちと近隣諸国の人びととの新しい未来を構築するポジティブなものになるはずである。

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