2011年4月5日火曜日

安保条約廃棄の展望

‐革新懇の役割は重大‐
畑田重夫

本連載もついに最終回を迎えました。ここで、安保を廃棄して、日本国憲法の原理が輝く日本への展望を総括的にまとめておきたいと思います。

安保の明文改悪を許さず
日本国憲法は、形骸化され、空洞化されている部分があるとはいえ、日本国民はまだ明文改憲を許していません。それと同じように、安保条約を基礎とする安保体制も、実質的には数々の日米間密約、新・旧の「ガイドライン」「日米安保共同宣言」や国内法である周辺事態法をはじめとする諸法によって再編・強化されてはいますが、全10カ条の条文そのものは不変のまま存続しています。
明文改憲を許していないのは「9条の会」のひろがりにみるような護憲の力が作用しているからです。安保の条文改定を許していないのは、かの有名な60年安保闘争に恐れをいだいた日米双方の支配層にとって、安保の明文改定を言い出すことが一種のトラウマになっているからにほかなりません。

安保の廃棄通告が可能
ところで、安保条約の第10条の2項には、10年間という固定期限ののちは、日米何れか一方による廃棄通告によって1年後には「終了」(廃棄)することになっています。つまり、1970年以降は、日米どちらかの政府が相手に安保廃棄の意思を通告しさえすれば安保の廃棄が可能なのです。

民主党政権も安保の強化
ところが、日本の歴代自民党政府はもとより、いまの民主党政権も、安保改定50年を期して「日米同盟」の「一層の深化」をはかろうとしているのですから話になりません。具体的には、普天間の代替基地を辺野古に作るということでの「日米合意」をしたり、アメリカの対日要求そのものともいうべきTPPへの参加をめざそうとするなど、対米従属をますます深めようとしていることなどにそれをみることができます。

廃棄通告できる政府を
われわれは、安保条約を廃棄してアメリカと喧嘩(ケンカ)をしたり戦争をすることを想定しているのではなくて、アメリカとも対等・平等の立場で日米友好条約を締結することが理想だと考えています。そのためにも、日本国民が、選挙を通じてアメリカにたいし安保の廃棄を通告するような、真に国民の立場にたつ政権を実現しなければなりません。それこそが国政革新をめざす革新懇運動の本来的な課題です。
廃棄の世論を多数派に
ところで、国民世論の実態をみるとき、率直に言って「安保の廃棄を望む」という世論がまだ多数派にはなりえていないというのが現状です。それには、「中国脅威論」や、「北朝鮮脅威論」も影響していると思われますし、「抑止論」の立場から米軍にいてもらわないと不安だという考え方が国民のなかに根づよくあるということです。
われわれには、学習や宣伝によって安保廃棄の世論を多数派にするためのいっそうの努力が求められているといわなければなりません。戦後60数年経ってもなお一国の首都に外国の巨大な基地があるというのは、日本の東京をおいて世界のどこにも例がありません。この一点から言っても、東京革新懇がになっている課題と役割はたとえようもなく重大であるといわなければなりません。核兵器も基地もない平和な日本を、というのはすべての日本国民の悲願なのです。

「貧困都政」からの脱却を

                      ルポライター 永尾俊彦
 地方自治法は、第一条で自治体に「住民の福祉の増進を図ること」を求めています。命や暮らしを守ることこそ、自治体の最大の責務だということでしょう。この責務を果たしていない点で、石原都政は論外です。

命の軽視
 石原慎太郎氏が都知事になった1999年に東京23区内で餓死で亡くなった人は26人でした。が、2008年には43人に増えています。評判のラーメン屋の前に長蛇の列ができるグルメブームの東京で、餓死者の数がジワジワ増え続けているのです。石原都政が命を守ることを最優先してこなかったことの証左です。
 また、2009年には群馬県渋川市の高齢者施設「たまゆら」の火災で10人が亡くなり、そのうち6人は墨田区から生活保護を受けている人でした。なぜ、都民が遠く離れた群馬県で焼死しなければならなかったのか。
この背景には、都内で特別養護老人ホームに入れずに待機している高齢者が4万人を超えているという現実があります。もちろん国の責任もありますが、都の予算は約12兆円で、韓国の国家予算並みです。命を守る施策を最優先すれば、限りなく豊かな福祉都市を実現できるはすです。しかし、都の歳出総額に占める老人福祉費の割合は、99年は3.8%で全国47の都道府県で2番目でしたが、07年度には2.8%で全国最下位に転落しています。
そして、石原知事は都民の税金をオリンピック招致や新銀行東京、三宅島バイクレースなどの自分の思いつきによる人気取り政策や三環状道路建設など環境を破壊する公共事業に湯水のように注いできました。
命の軽視という点で、石原都政は、これまでの美濃部、鈴木、青島知事らと決定的に違います。
 ベンゼンやシアンなどの猛毒で汚染されている豊洲地区(江東区)の東京ガス工場跡地へ、築地市場(中央区)を強引に移転させようとしていることも命の軽視の表れです。
今回の大地震で、豊洲では地中の砂が噴出する液状化現象が起きました。都の液状化対策は地層の深い部分はやらず、危険だと日本環境学会の学者が指摘しているのに都は黙殺です。良心的な科学者が原発の危険性に警鐘を鳴らしてきたのに「安全だ」と強弁し、今回の爆発事故を招いた国や東京電力の姿勢と同じです。
 
看過できない差別発言
 このような命の軽視の他に多くの人を傷つけ、やり切れない気持ちにさせているのが石原知事の差別発言や放言です。障害者施設を視察した際、「ああいう人ってのは人格あるのかね」などと言い、今回の震災でも被災者に「天罰だ」などと言い放ちました。このような差別発言や放言は数えきれません。こんな首長が他にいるでしょうか。差別発言は犯罪と規定している国も少なくありません。
 今回の都知事選では、このような心も政策も貧しい「貧困都政」からの脱却を願う人々が、広く手を結ぶべきだと思います。