~東京における日米アンポを斬る⑦~
工藤 勝人 東京商工団体連合会(東商連)事務局長
経済条項で日本を支配下に
日米安全保障条約はその第2条で、「経済政策におけるくい違いを除くことに努め、また、両国の間の経済的協力を促進する」としています。しかし、安保のもとでの「基地提供」「占有状態」のもとで、対等な経済的協力ができたでしょうか。
ちょうど、今から25年前の1985年9月に先進5カ国(米国・西ドイツ・フランス・日本)は、協調して為替レートをドル安にすすめることに合意(「プラザ合意」)しました。これは米国の貿易赤字を解消する圧力で、合意以後、日本では急激な円高が進み、日本経済は不況に陥り、また大企業は国内生産を海外での現地生産に切換えたり、部品調達を海外から行なうといった対策をとったため、産業の空洞化をもたらしました。また、現在でもそうですが、輸出大企業は円高による収入の減少をカバーするため、下請単価たたきや非正規雇用の増大などのコスト削減で、業績は軒並み回復しています。
構造改革路線の押し付け
「年次改革要望書」は、日米両国の経済発展のために改善が必要と考える相手国の規制や制度の問題点についてまとめた文書で、毎年日米両政府間で交換されています。しかし、米国による国益の追求という点で一貫しており、2005年5月の衆議院特別委員会で小泉親司衆議院議員(当時)は、要望書について「内政干渉と思われるぐらいきめ細かく、米国の要望として書かれている」と述べています。最初の「要望書」は1994年であり、小泉首相が誕生した2001年からは毎年の「要望書」となり、小泉・竹中の「構造改革路線=新自由主義」、弱肉強食の社会構造改革と軌を一にするものです。
小売店・商店街つぶし、不安定雇用の増大
1998年の年次要望書に登場し、2000年施行となった、大規模小売店舗法の廃止、大規模小売店舗立地法の成立は、それまで売り場面積の規制や一定の地元の合意が必要だった大店舗の出点が容易となり、商店街の衰退にもつながるとともに、地元に暮らし、営業する商店と違い、無秩序な出店・撤退をくり返し、撤退の後には何も残らず、「買い物難民」「都会型限界集落」をつくりだす要因にもなっています。
また、1994年と2004年の2回にわたった労働者派遣法の改正は、不安定雇用労働者を増やし、給与水準を押し下げ消費購買力を落とし、経済活動の停滞をまねいています。
このように、年次改革要望書はアメリカ財界の要求であるとともに、「構造改革」の名のもとに、大企業は栄え、地域を支える商工業者を圧迫し、雇用も破壊する、日本経済にとって最悪の選択・施策とも言えるものです。
東京都における現われ
東京都の事業所統計によると、2001年から2006年で事業所は3万4千事業所が減少し、法人事業所よりも個人事業所が12・1%の大幅減、1~4人規模の小零細事業所に集中しています。また地域の商店街、中小業者団体も、「大規模小売店舗法」(大店法)の廃止やデフレ・消費不況など経営環境の変化に立ち向かう商店街の努力にもかかわらず、商店街数は98年からの10年で2907から2717へと減少、中小業者団体数も2068団体から1883団体へと約1割近い団体が解散・消滅しています。
民主党政権でも、経済施策は変わらず
こうした中小企業淘汰と「貧困化」をもたらした原因は、強い企業・競争力ある企業を選別育成するという99年の「中小企業基本法」の改定と小泉構造改革路線・新自由主義経済路線、そしてその背景としてあるのが、安保条約を盾とした「年次改革要望書」と、これを受け入れる政治体制です。民主党政権になって1年がたちますが、根本的な経済分野施策での変化は見られません。